[[Histrie de Boonen]] *Eustasius II(1020~1085) [#z51a819f] **とりあえず [#e4b0fe20] ***ゲーム開始時のBoulogne伯の状況 [#l8745bb5] #ref(0005-主家・フランドル公.jpg) #ref(0000-map-start_k.jpg) 画像は直接の主・Flanders公の領地。Boulogneの位置と、 後で出てくくるんですが、Yperenの位置も分かると思います。 で、こちらが当主。 #ref(0001-初代.jpg) #ref(0001-eustasius II.jpg) 外交1…まぁ、しばらくは封臣抱えることも無いと思うし、すでに46歳と 高齢で先も長くないであろうし、そんなに問題ないでしょう。 妻も31歳なので新たな子供は望み薄だけど、男子が3人もいるので とりあえずは大丈夫。 長男 #ref(0002-初代長男.jpg) #ref(0002-eustasius III.jpg) 次男 #ref(0002-初代次男、後の聖墓守護者.jpg) #ref(0003-guffrot I.jpg) 三男 #ref(0004-初代3男、後のエルサレム王.jpg) #ref(0004-boudewijn I.jpg) 長男も外交1…まぁ、陰謀以外は補佐につける廷臣の能力次第で ある程度補える(統治効率だけは補佐官で底上げしても向上しない。 Spy Master任命によって補えるのは暗殺などの成功率だけ)のでいっか。 次男か三男の子孫をJerusalem王にすることが最終目標なので 長男とその子孫は乗っ取り重視・能力無視で行くことに。 難易度「非常に難しい」だとクレームの請求費用が馬鹿みたいに高いし 信仰が4000ぐらいあっても評判の改善が2ヶ月で-0.1とかなので 婚姻での乗っ取りやClaim獲得が他の難易度と比較して主になります。 継承法は準サリカ長子、統治法は伝統的慣習法+Ecclesical balance。 とりあえずはこのままでいくことにします。 余談ですが、僕は初期法を変えないで完走を目指すのが好きです。 その統治者の色が出てるっていうか、そんな気がするからなんですが ただMilano公(1.05improvementだとLombardia公ですか)の 大衆法+教会至上とかに比べると無色というか普通というか平凡というか… **序盤は流す [#w0cc992d] ***ゲームスピードを最速にして流します。 [#rf0a3e53] いやだって出来ることないし…というか、大雑把な最終目標以外 明確なプランを立ててないから何していいのかはっきりしないんです。(&size(10){ヲイ}; 収入まだ低いからあんま建設とかも出来ないしないし…大雑把な最終目標以外 明確なプランを立ててないから何していいのかはっきりしないんですよね。(&size(10){ヲイ}; デカい王国で初めればJerusalem建国ぐらいまでは比較的楽に達成できると 思うけど、それじゃ面白くないってことで伯から始めたんですが 伯や公だと、異教徒に宣戦した場合主君もでしゃばってくるっていう 問題があるんですよね。結果領内がまだら模様になって面倒臭くなると。 かといって独立すると、元の主君から喧嘩売られて滅亡する危険があるし どこに手を出して勢力拡大して、どのタイミングでどういう形で独立するか。 何となく考えてるのとしては、初期状態では存在しないBrugundyやItaly等の (厳密にはGermany王が兼任してるけど)王になってから遠征に出る、辺りで 行こうかな・・・とか考えてますが、まぁやってるうちに見つけることにします。 筆者はAAR初めてなんで文章とかも統一感が無いし、Wikiの編集も 初めてなんで見辛いと思いますが、どうかご容赦願います。 初めてなんで見辛い部分等多々あると思いますが、どうかご容赦願います。 **Eustasius IIの治世中の主な出来事 [#h4e1e7de] 1073年3月、ローマ教皇が十字軍発令、目的地はJerusalem。 いきなりJerusalem周辺を荒らされてしまう・・・まぁ、ヘースティングスで 最初に来る十字軍は大概目的地がJerusalemだし、仕方の無いところ。 周りに乗じて出て行くという手も無いではないけど、GOLDの蓄えも無いし とりあえずは我慢。これと直接関係ないけど、この頃Byzantineが崩れ始める。 #ref(0006-ビザンツ崩壊.jpg) 開始から10年経たずに反乱祭り #ref(0005-byza.jpg) 開始から10年持たずに反乱祭り 1074年2月、主家であるFlandres公の孫娘を、すでに成人していた長男 Eustasiusの嫁に貰う。直接乗っ取れなくても、Flanders公位のClaimを 獲得できれば、という算段。 と思っていたのに、1078年1月5日、Eustasiusストレスが高じて自殺。 男子どころか子供ゼロ。いきなりっスか…とりあえず、次男Guffrotの家系を 乗っ取り中心にして、三男Boudewjinの子孫をJerusalem王にする、に 目標を変更することに。 1078年3月、次男GuffrotにEngland王家から嫁を貰う。家格の違いからか 数度に渡り冷たく断られるものの、粘り強く交渉し続けて何とか承諾を得る。 また直接関係ないが、この頃BizantionがSeljuk Turksによって陥落。 Seljuk Truksの勢力拡大はJerusalem周辺の事情に無関係ではないので 今すぐどうこうは出来ないものの気掛かりではある。 #ref(0007-セルジューク朝、ビザンティウムを陥とすの図.jpg) #ref(0006-byzantion_k.jpg) 他にはこの年に、今まで教皇の呼びかけに対し様子見だった諸侯の中から England王が動き出す。グレートブリテン島やノルマンディーの部隊が 続々と出発してフランスを縦断し、マルセイユから出帆していった。 1081年には三男Boudewjinに、同じFlanders公配下のYperen伯の所から 嫁を貰う。同年5月、Guffrotに待望の男子が誕生。 この孫が健やかに成長することを願いながら、1085年1月21日 Eustasius II 逝く。 享年65歳。 #ref(0008-初代死去.jpg) #ref(0007-eustasius_die.jpg) Guffrotが、新たなBoulogne伯となった。