**Bohemond de Hauteville(〜1210)威信655 信仰317 ***序章 十字軍国家の一つ、アンティオキア公国。 ある日、公爵Bohemondは占い婆さんで有名なConstanceに呼び止められた。 &attachref(s-ScreenSave7.jpg); (↑Constance婆さん。齢97。夫は99歳の元帥!) 「どうしたんだい婆さん。余はこれから税収の確認を行わなきゃならんのだ。」 「まあまあそうおっしゃらずに。占いでもやらんかね?」 こうなると占いを受けるまでずっと離れないので、Bohemondはしぶしぶ近くの椅子に座った。 … 「では何を占おうかの?」 「ならば余と公国の未来を占ってくれ」 「はいよ。じゃあさっそくやってみるかね。」 始めはにこやかに行っていた婆さんだが、次第に表情が険しくなっていく。 「一体どうしたのかね?何か凶兆が出ているのかね?」 「…Bohemond様の未来は苦難に満ちたものになりましょう…。しかし…公国は…もっと悲惨な…」 「な、何が起きるというのだ?」 「…東からやってくる怪物に…怪物に全てを飲み込まれ…もはや神に祈るほか…」 そう言って失神したConstanceを支えながらBohemondはたかが占い、と思いながらも漠然とした不安を感じていた…。 ***Bohemondの時代 Bohemondは1187年にシュレジエン公の臣下の娘と結婚し、一男を設けたが病を得て死去。 後妻として遠くアイルランド南部の伯爵家の娘を娶った。 だが、この結婚は先妻との息子Raymondにとってショックであったようで、彼は程なく鬱病になってしまった。 この頃アンティオキア公国はキリキア公国とキプロス王国とに相互同盟関係を樹立していた。 だが、1198年突如キプロス王国が遠方のホラズムに宣戦布告したことがきっかけでその関係が崩壊することになる。 キリキア・アンティオキア両国にキプロス公からの支援要請が届いた。 キリキア公は武芸に秀でておりすぐに参戦を表明したが、Bohemondは大いに悩んだ。 成人男性がわずか2名、しかもどちらも軍事はからっきしであったのだ。(Raymondは軍事5、廷臣Aは軍事4。Bohemondは7) また、アサシン教団や聖ヨハネ騎士団との小競り合いで動員兵力は定数を大きく割っていた。 しかし同盟国を見捨てることは騎士のプライドが許さなかった。やや遅れてアンティオキア公国も参戦。 キリキア勢がホラズムに向けて進撃した直後、ルム=セルジュークが挙兵、キリキアに宣戦布告した。 Bohemondは敵方の策略に驚きつつもキリキア領を守るべくセルジュークに宣戦した。 経済が好調なキプロス勢も加われば防げるだろうと悲観視はしていなかった。 しかし、キプロス公は何もしなかった。 それだけではない。 あろうことか、ホラズムの長とあっさり講和してしまったのだ。 これにはキリキア公もBohemondもその状況に理解できず呆然とした。が、すぐに事の重大さに気づき戦慄した。 ホラズム軍は全土から兵を結集し小アジアに侵攻。まずアダナー伯などキリキア公配下の勢力を滅ぼし、キリキア本国へ。 キリキア公の残存兵とアンティオキア兵計3500がホラズム勢5000を迎え撃つ。 だが、キリキア公の必死の防戦むなしく敗北。 しかもアンティオキア兵を指揮していた嫡子Raymondの戦死という取り返しの付かない事態も発生してしまった…。 守る兵が消え去ったキリキア公国は滅亡。次の目標は当然アンティオキア公国である。公国は風前の灯であった。 ホラズム軍は首都アレキサンドレッタを包囲。Bohemondはここに至って全金貨と引き換えの講和を申し出た。 ホラズムの君主はキリキア領に満足していたのか、その講和に同意し危機は去った。 残るはセルジューク朝だが、こちらは残存のアンティオキア勢でどうにか追い払うことに成功、無条件で講和した。 戦争は終わり、残ったのは崩壊寸前の軍とあてにならないキプロスとの同盟関係だけ。 Bohemondはこの後1210年に没するまで経済復興に全てを注ぐことになった。 ただ、希望は生まれてきた。Bohemond病没直前に得た有能な亡命軍人の存在と、 後妻との次子Raoulの立派な成長振りである。 死の直前、BohemondはRaoulに占いの話をし、いかなる方法でもこの地を守れと言い遺し息を引き取った。 &attachref(s-ScreenSave9.jpg); ↑有能な2代目Raoul