[[獅子の王国]] &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);私がルクセンブルク家三代目党首 レオン・ドイツ・デンマーク・ポルトガル・カスティーリャ・エジプト王アドルフ・フォン・ルクセンブルクだ #ref(アドルフ能力.png,nolink) &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);どさくさ紛れにドイツも王国に編入してるな &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);仕様だから仕方ないね &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);ではまず世界情勢を確認しようか &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);よろしく頼むよねこ君 &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);人任せにすると逸材持ちが泣くぞ? &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);ちっ・・・仕方ないな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);いいか、王たるもの国際情勢は(ry &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);はいはい、それくらい分かってるって &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);(大丈夫かな? &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);いいからサクッと始めようサクッと &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);ではまず本拠地のあるフランス~元神聖ローマ辺りからだな #ref(ドイツフランス.png,nolink) (薄紫色:レオン王国、青:フランス、濃赤:ブルゴーニュ、薄緑:ボヘミア、濃緑:ポーランド) &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);レオン王国とドイツ共和国が合邦したからドイツ方面の領土は大きく増えたな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);フランス王と戦争状態になってるけどな &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);HAHAHA! フランドル兵を持ってすればフランス王国なんぞ恐るる足らず! &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);そりゃぁ・・・なぁ &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);それより問題なのはスウェーデン、フランス、ボヘミア、ポーランドに臣従している地域があるのに加えてブルゴーニュ王国(元神聖ローマ王国)が存在していることだ。 &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);特にフランス王とブルゴーニュ王は虫が好かない輩だな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);敵対関係だしな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);さて次はブリテン島 #ref(ブリテン.png,nolink) (濃青:スコットランド、橙:イングランド及びアイルランド連合王国) &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);この方面はイングランドの天下だろう &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);アイルランドに加えてスコットランドまで侵食してるからな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);先代が力を入れたイベリアはこんな感じ #ref(イベリア.png,nolink) &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);これはもううちの庭といっても差し支えないな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);大諸侯がいくつも残ってるけどな &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);うーん どうしたもんかな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);お次はアフリカ #ref(北アフリカ.png,nolink) &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);北アフリカで警戒するべきはズィール王国くらいか &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);バルカン半島はこんな感じ #ref(バルカン.png,nolink) &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);何この微妙な領土 &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);一応セルジュークトルコ戦の名残らしい &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);統治しにくいなぁ &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);ところで右上の青いのは? &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);あれはバグラトゥニ朝グルジア・ルーシ王国だ &ref(獅子の王国/アドルフ.png,nolink);ルーシ平定したのか・・・将来が怖いが、当面の問題ではないな &ref(獅子の王国/元帥.PNG,nolink);シベリアまでまだまだ遠いものね ---- ドイツの歴史を学ぶ上で、カール大帝に次いで名高いのがルクセンブルク宗家三代目当主アドルフ・フォン・ルクセンブルクだろう。 ここではルクセンブルク家による西欧支配を確立させるまでの彼の人生をたどっていこうと思うのでしばしお付き合い願いたい。 ルクセンブルク宗家二代目当主フリードリヒの次男として生まれた彼は、五歳になってまもなくドイツ共和国へと留学させられた。留学中の彼は彼について書かれた多くの伝記の中では 『留学時代のアドルフは瞬く間に頭角を現し、11歳にしてその才能と人望を買われてドイツ共和国第三代主席執政官に就任した。』 っと書かれている。これは現代に生きる多くの人々に共通するイメージであるが、果たしてこれが正しいのだろうか?これが真実であると鵜呑みすることは私にはできない。 勘違いしないで欲しいのだが、私は決して彼の業績を非難しようと死しているのではない。ただもう少し・・・彼の主席執政官就任について当時のドイツ地方の情勢をふまえて考えてみようというのである。ご存知のとおり、フランケン朝神聖ローマの統治は大いに乱れドイツ地方は混乱のきわみにあった。ある諸侯はフランケン家が建てたブルゴーニュ王国に忠誠を近い、またあるものは他国の王に庇護をお求めた。結果ドイツ地方内にドイツ共和国を始めとして、ブルゴーニュ王国、フランス王国、ポーランド王国、ボヘミア王国、スウェーデン王国、レオン王国、クロアチア王国等の勢力がひしめき合い、共和国が有する統治領域はドイツ地方の1/5に満たなかった。各勢力の中で最も影響力が大きかったのはどこの国だろうか?言うまでも無くイベリア半島での再征服活動にて成功を収め、豊かな北イタリア、低地を直轄領とし、そして何よりドイツ諸侯の1/3を従えるレオン王国である。 その背景を踏まえて考えると、アドルフの主席執政官への就任の裏にあるドイツ共和国評議会の思惑・・・ドイツ共和国がドイツの主導国家であるためにレオン王国の支持を必要としていたという政治的な状況が見えてくるではないか。事実アドルフの父にしてレオン王のフリードリヒはアドルフの主席執政官就任以降その領土拡大の野心をムラービト朝に向けている。結果としてドイツ共和国評議会の目的は果たされたというべきだろう。 さて、次に主席執政官に就任して以後のアドルフを見ていこう。 ドイツ共和国はフランケン朝神聖ローマからドイツの主権を奪った成り立ちからしてフランケン朝ブルゴーニュ王国との間柄は極めて悪く、また上ブルゴーニュ公の宗主権を巡りフランス王国と一触即発の状況にあった。そのような厳しい情勢の中で、アドルフの存在は評議会の思惑通りレオン王国を外交的に味方につけるという外交的な勝利をもたらしたが、ドイツ評議会はアドルフにそれ以上のことを期待していなかったように思われる。当時の記録を見ても成人するまでのアドルフが直接決定を下したという書類は一枚も残っていない。つまり伝記と異なり実際は議会の傀儡だったようなのである。そんなアドルフに転機が訪れたのはドイツ・ブルゴーニュ戦争の勃発である。ブルゴーニュ王国の侵攻に対して議会が何ら友好な手立てを打つことのできなかったのに対して、若干18歳のアドルフは陣頭指揮を執り、瞬く間にブルゴーニュ王国軍を殲滅せしめたのだった。この戦争以後アドルフは徐々に民衆の支持を集め、その声望は評議会を凌ぐものとなっていたのだった。 父フリードリヒの死によりアドルフがレオン王国を引き継いだ際に、ドイツ共和国の処遇を審議した評議会は全会一致でアドルフのドイツ王就任を認めておりそこに当時のドイツの人々がアドルフにかける期待の大きさを読み取ることができる。 しかしながらレオン王国とドイツ共和国の統合は当然周辺各国、特にドイツ地方に領土を持つ国にとっては望ましいことではなく、アドルフの即位後まもなくフランス王国がレオン王国に宣戦する。この後の数年の歴史の流れは多少誇張されている印象のあるものの伝記のままであるから概略だけ述べておく。 次々と宣戦してくるフランス王国、ブルゴーニュ王国、ポーランド王国、ボヘミア王国に対して、アドルフは常に果断に対応し各国王位を手に入れたのだった。 その後もアンティオキアを目指した十字軍に参加し、イスラム諸侯相手に勇戦し、セルジュークトルコからバグダッドを獲得するなどの活躍を見せた。。 その功績もあってかアドルフはルクセンブルク家初の皇帝となり、彼のレオン王国はルクセンブルク帝国と呼ばれることになる。 #ref(皇帝.PNG,nolink) その後アドルフはウェールズ王位を叔父(ウェールズ・ルクセンブルク家)に、領主たちがキリスト教に改宗したエジプト王位を弟(エジプト・ルクセンブルク家)に送り、統治を任せることにした。 1175年・・・即位当初から戦い続け、多くの勝利をもたらした偉大な皇帝、アドルフ・フォン・ルクセンブルク死去。多くの外患に悩まされた彼は一方で男子16人(うち私生児5人)女子7人の子宝に恵まれた。まさに神に愛された男だった。