[[イルカの主]] *幸運王ギュエリ1世(1299-) 1299年、フィリップ2世の後を継いで新しいブルゴーニュ王になったのは 後にロートリンゲンを完全に征服し、中フランク王国の復活を果したギュエリ1世であった。 彼はギルバー1世からの夢であるロートリンゲン征服を目指し、 まず手始めにフランドル公に宣戦布告をした。 こちらの兵の数は2万、一方のフランドル側は3千しかなく、勝敗は目に見えていた。 フランドル公も徹底抗戦をするも力及ばず、フランドル公の地位を追われた。 この戦いでフランドル公の地位を手に入れた。 新しいフランドル公には、プロヴァンス公ギョーム2世の四男であるジェルミーをおいた。 1300年、バレンシア公が反乱を起した。 しかし、彼らの兵が疲れていたこともあってブルゴーニュ軍の敵ではなかった。 結果、バレンシア公の地位を彼から奪い、追放したのである。 新しいバレンシア公にはプロヴァンス公ギョーム2世の三男であるアンリが即位する事となった。 ---- 1302年、ギュエリ1世は遂にロートリンゲンに居座る最大の敵、下ロレーヌ公と決戦する事となった。 下ロレーヌ公は神聖ローマ帝国の中でも屈指の実力者であり、 フリースランド公とブラバンド公も兼任したため、ロートリンゲン王とも呼ばれた。 ギュエリ1世はまず、下ロレーヌ公の本拠地であるリェージュを攻略することとし、 下ロレーヌ公に対して宣戦布告をした。 兵の数はブルゴーニュ王国は3万、下ロレーヌ公も2万を集め大きな戦いとなった。 ギュエリ1世は2万を率いて、下ロレーヌ公の本拠地であるリェージュへと進軍した。 別働隊1万は神聖ローマ帝国の皇帝領であるアンスバッハへと進軍をした。 リェージュではブルゴーニュ軍2万と下ロレーヌ軍1万2千が激突した。 しかし、技術と人材において上回っていたブルゴーニュ軍が終始ともに主導権を握った戦いとなった。 結局、この戦いでブルゴーニュ側に5千、下ロレーヌ側は全滅という被害を出した。 そして、ブルゴーニュ軍1万5千はリェージュを陥落させ、次の目的地であるブレダに向かった。 一方、別働隊1万は神聖ローマ帝国軍3千と戦って勝利を収め、アンスバッハを陥落させた。 この結果、神聖ローマ帝国から賠償金をもらい、和解した。 そして、残った別働隊9千は下ロレーヌ公の直轄領であるフリーセンへと進軍した。 ブレダでは本陣であるブルゴーニュ軍1万5千と下ロレーヌ軍8千が激突した。 この戦いは当初、疲労のたまっていたブルゴーニュ軍が押されていたが、 徐々に数で圧倒し、下ロレーヌ軍を撤退させた。 この結果ブレダは陥落し、下ロレーヌ公の残りの直轄領はケルンのみとなった。 下ロレーヌ公軍は壊滅したと思って勢い良く進軍したギュエリ1世は フリーセンに下ロレーヌ軍1万がいることに驚き、不意を衝かれてしまう。 下ロレーヌ公は属国から兵を集め、1万の兵を作っていたのだ。 このため、ブルゴーニュ軍1万2千の本隊は窮地に立たされる。 だが、ちょうどその時であった。別働隊9千がようやく来たのである。 これによって形勢が逆転し、下ロレーヌ公軍を壊滅させた。 この結果、下ロレーヌ公は下ロレーヌ公、ブラバンド公、フリースランド公の地位と、 リェージュ、ブレダ、フリーセンを放棄することとなった。 そして、かつての下ロレーヌ公の属国全てがブルゴーニュ王国の元に下ったのである。 この戦いで、ギュエリ1世は幸運王と呼ばれるようになる。 この戦いの後、ブラバンド公には弟のマルティンを、 下ロレーヌ公にはブルゴーニュ公ジョフリーの次男ギョームを、 フリースランド公にはシュバイツ公ゴーシュの三男ベルトラントをそれぞれ置いた。 そして1302年の冬、ギュエリ1世は高々と中フランク王国の復活を宣言し、自らをフランク王と称した。 ---- #ref(ドルフィン家系図1302.GIF) ---- #ref(1302.GIF) ----