*十代目-Otto 後半 (1255)-1276 [#p06e8f0c]
#ref(10RheinfeldenOtto.png,nolink)
15/6/10/8 37歳
**概要 [#yb6c1764]

***家系図 [#e7e5378b]
#ref(10RheinfeldenFami.png,noimg)
称号持ち以外は省略。
***1257-ドイツ情勢 [#z948122d]
#ref(1255GERMANY.png,nolink)
Murabitidsを追い出しBurgundy王国は広大な領土を支配するにいたった
Burgundy王国を抜きにGERMANYを語ることはできないだろう
&color(orange){Murabitids};を追い出し&color(blue){Burgundy王国};は広大な領土を支配するにいたった
&color(blue){Burgundy王国};を抜きにGERMANYを語ることはできないだろう

***1257-Burgundy王国 [#i89ec076]
#ref(101257Burgundy.png,nolink)
戦後、王国は基礎収入の高い北方へ政治の中枢が動く。
王は領土を一族に分配し評判を回復。
王国の足かせはなくなった。

**プレイ開始 [#d59b9681]
***隣国 [#ya1f0032]

その王国にはひっじょーーーーーーーーーーーに目障りな存在があった。

上Lorraine大公国である。
&color(blue){上Lorraine大公国};である。
#ref(10Ulorraine.png,nolink)
上Lorraine大公Lorraine家は1066年以来続くGERMANY中部屈指の名門。
&color(blue){上Lorraine大公};&color(red){Lorraine家};は1066年以来続くGERMANY中部屈指の名門。

上Lorraine大公国はBurgundy王国の真ん中に位置する。
&color(blue){上Lorraine大公国};は&color(blue){Burgundy王国};の真ん中に位置する。
このような国が真ん中にあっては精神上にもとてもよくない。
Burgundy王国は上Lorraine大公を攻めいる機会を待ち望んでいた。
&color(blue){Burgundy王国};は&color(blue){上Lorraine大公};を攻めいる機会を待ち望んでいた。

上Lorraine大公も自分が次の標的であることを察し
Otto王がMurabitids朝と戦っている隙に王国に進軍するも
&color(blue){上Lorraine大公};も自分が次の標的であることを察し
&color(green){Otto王};が&color(orange){Murabitids朝};と戦っている隙に王国に進軍するも
キリスト教国の不和を恐れた教皇の取りなしによってその計画は破綻した。(前回参照
Otto王は上Lorraine大公の行為を決して忘れはしない
&color(green){Otto王};は&color(blue){上Lorraine大公};の行為を決して忘れはしない

***戦争計画 [#uf5e602a]

3代目Rudolphがちょうどいい具合にMainz、Pfalzのクレームを取っている。
この二つは収入が良いので''Mainz、Pfalzを直轄領にし''
''上Lorraine大公領を勢力圏にする''(つまりは上Lorraine大公位を剥奪)のを最終目標とする。
3代目&color(green){Rudolph};がちょうどいい具合に&color(brown){Mainz};、&color(brown){Pfalz};のクレームを取っている。
この二つは収入が良いので''&color(brown){Mainz};、&color(brown){Pfalz};を直轄領にし''
''&color(blue){上Lorraine大公領};を勢力圏にする''(つまりは&color(blue){上Lorraine大公位};を剥奪)のを最終目標とする。

属国の兵は使わない。
属国らには金を貯めてせいぜい改善施設を建ててほしい。
ただ、王領はつい最近まで戦場だったこともあって兵数が一カ所2000程度。
よってほぼ全てから動員することにする。

↓戦争計画図
#ref(10vsULorraine00.png,nolink)

総数B:33100vsUL:25200となる
''総数&color(blue){B};:33100vs&color(blue){UL};:25200''となる
兵力にそこまで余裕がある戦争ではないが
敵Mainz:9000には軍事20の元帥Roolbをあてがい
Pfalz占領後、4600の兵を援軍に送る。
またNordgauは3方から攻撃をうける可能性があるので8900の兵をおく
Nordgauへ敵が来るこないよう各自足止めができたら前進し
敵&color(brown){Mainz};:9000には軍事20の&color(gray){元帥Roolb};をあてがい
&color(brown){Pfalz};占領後、4600の兵を援軍に送る。
また&color(brown){Nordgau};は3方から攻撃をうける可能性があるので8900の兵をおく
&color(brown){Nordgau};へ敵が来るこないよう各自足止めができたら前進し
前方の2500、南方から北上するとおもわれる1700の兵を足止めする


将軍は元帥Roolbの軍事20を筆頭に19,18,17,16,16,15,15,15の9名を選出。
''将軍は&color(gray){元帥Roolb};の軍事20を筆頭に19,18,17,16,16,15,15,15の9名を選出。''
若くて戦死すると泣けるので歳を取った順に選んでいる。
総計だと軍事15以上の廷臣が13名いる

外交、管理は一人高い者がいればいいのに対し
軍事は 元帥任命→軍徴兵→別の者を元帥任命、を繰り返し将軍に起用できるので
軍事が高いものが多くいるのは嬉しい。

優れた軍事能力から士気で圧倒し完勝を目指す。



***開戦 [#b12e0705]

''1257年4月,Mainz伯、Pfalz伯に宣戦布告。宗主である上Lorraine大公国はBurgundy王国に宣戦布告。''
''1257年4月,&color(blue){Mainz伯};、&color(blue){Pfalz伯};に宣戦布告。宗主である&color(blue){上Lorraine大公国};は&color(blue){Burgundy王国};に宣戦布告。''

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#ref(10vsULorraine01.png,around,left,nolink)
予想外なことに
Roolb率いるMainz攻略軍がたいした戦闘もなく勝利し、Mainzを占領。
Mainzは伯国なので即併合。Roolbの軍はPfalzへと向かう。
逆にMetz、Verdunには1500しか兵がいないのになかなか勝利しない。
Roolbのが異常だったのだろうけど……
まだNordgauの兵は待機。
&color(gray){Roolb};率いる&color(brown){Mainz};攻略軍がたいした戦闘もなく勝利し、&color(brown){Mainz};を占領。
''&color(blue){Mainz};は伯国なので即併合。''&color(gray){Roolb};の軍は&color(brown){Pfalz};へと向かう。
逆に&color(brown){Metz};、&color(brown){Verdun};には1500しか兵がいないのになかなか勝利しない。
&color(gray){Roolb};のが異常だったのだろうけど……
まだ&color(brown){Nordgau};の兵は待機。
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#ref(10vsULorraine02.png,around,left,nolink)
PfalzではRoolbの到着によって勝利が確定し、占領と同日に併合。
一方のVerdunでは勝利するもFolkhard Arpad将軍が戦死。
Metzには上Lorraineの3500と2500の援軍が到着する
Nordgauの8900で2500の兵を拘束しようと進軍させていたが、少し遅かった。合流を許してしまう。
数ではほぼ B:3000vsUL:6800
&color(brown){Pfalz};では&color(gray){Roolb};の到着によって勝利が確定し、''占領と同日に併合。''
一方の&color(brown){Verdun};では勝利するも''&color(gray){Folkhard Arpad将軍};が戦死。''
&color(brown){Metz};には&color(brlue){上Lorraine};の3500と2500の援軍が到着する
&color(brown){Nordgau};の8900で2500の兵を拘束しようと進軍させていたが、少し遅かった。合流を許してしまう。
数ではほぼ ''&color(blue){B};:3000vs&color(blue){UL};:6800''
士気が減りにくいため敗走はしないが、圧倒的に不利な状況となった。
併合したPfalzから至急援軍を送る。
併合した&color(brown){Pfalz};から至急援軍を送る。
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#ref(10vsULorraine03.png,around,left,nolink)
Metzの激戦もPhalzからの援軍が到着すると形勢逆転。
この戦闘に勝利したことで戦争での勝利が確定する。
&color(brown){Metz};の激戦も&color(brown){Phalz};からの援軍が到着すると形勢逆転。
''この戦闘に勝利''したことで戦争での勝利が確定する。
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予想外の展開に少々惑わされたが、規模のわりに5ヶ月で終わったのはなかなか。
なにより、こういう計画的な戦争は楽しい。

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ところが''上Lorraine公は上Lorraine公爵位だけではなく、他の公爵位も持っていた''。
ところが''&color(blue){上Lorraine公};は&color(blue){上Lorraine公爵位};だけではなく、他の公爵位も持っていた''。
チェックが甘くて気づかなかった。
おかげで直領だったLorraineのみ勢力圏に入らず。
1領だし休戦きれてからでいいやーとか思ってたらGermany王国に忠誠を誓っていた。
Germany王国と喧嘩したくないのでくやしいが見送る
おかげで直領だった&color(brown){Lorraine};のみ勢力圏に入らず。
1領だし休戦きれてからでいいやーとか思ってたら''&color(blue){Germany王国};に忠誠を誓っていた。''
&color(blue){Germany王国};と喧嘩したくないのでくやしいが見送る

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新しく手に入った上Lorraine大公位はLorraine家の一人に寛大に授与する。
新しく手に入った''&color(blue){上Lorraine大公位};は&color(red){Lorraine家};の一人に寛大に授与する。''
今は拡大期、小事にこだわって時間を潰したくない。
(一つ残った元上Lorraine大公の領土も継承してくれるかもしれないし)
(一つ残った元&color(blue){上Lorraine大公};の領土も継承してくれるかもしれないし)
支配層を保持したことで上Lorraineの安定は短期間で保たれた。

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#ref(10afterUL.png,nolink)
こうして、1257年9月Burgundy王国は南北が統合された。
その象徴として''Mainzは王国の中央として新首都となる''
この戦役を通してBurgundy王国は大国としての基礎を固めたといえるだろう。
こうして、1257年9月&color(blue){Burgundy王国};は南北が統合された。
その象徴として''&color(brown){Mainz};は王国の中央として新首都となる''
この戦役を通して&color(blue){Burgundy王国};は大国としての基礎を固めたといえるだろう。

***王とその子供たち [#ecbeb9e0]

40の男盛りを迎えるOtto王であったが
40の男盛りを迎える&color(green){Otto王};であったが
頭を悩ます問題を抱えていた。
後継問題である。

  Otto
  1218-
   ├────┬────┬────┐
   |    |    |    |
  Konrad  Garlach  Herman  Ruedger
  1243-  1251-   1252-   1252-

''正妃との間に生まれたのはKonradのみ''
''正妃との間に生まれたのは&color(green){Konrad};のみ''
他は3名は私生児であるため継承権がない
Konradは軍事のみが高いだけで王の器ではない。
&color(green){Konrad};は軍事のみが高いだけで王の器ではない。


さぁて困った、と''1256年、そんななかで二番目の正妃から待望の男の子が生まれる''
''5男Wilhelm''。能力も高い。
''5男&color(green){Wilhelm};''。能力も高い。
王位を継ぐのはこいつしかいない


長子KonradはHainaut候だったが性格に問題があったためか、破門され継承順は下がっている。
長子&color(green){Konrad};は&color(blue){Hainaut候};だったが性格に問題があったためか、破門され継承順は下がっている。
他3人は私生児で継承権がない
Wilhelmが王位を継承する下地はすでにできていた。
Otto王も40で生まれた待望の男子とあってWilhelm寵愛する。
&color(green){Wilhelm};が王位を継承する下地はすでにできていた。
&color(green){Otto王};も40で生まれた待望の男子とあって&color(green){Wilhelm};寵愛する。

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私生児らも成人し始めた1260年代。
Otto王は子供らのために領土獲得に精を出す。
その中、いまだ領土をもらっていない私生児の四男Ruedgerは元帥になりたいと言い出す
&color(green){Otto王};は子供らのために領土獲得に精を出す。
その中、いまだ領土をもらっていない私生児の四男&color(green){Ruedger};は元帥になりたいと言い出す
拒絶すると次は王位継承権をもとめてきた。
これも受け入れるわけにはいかず
Otto王はRuedgerのためにそうそう新しい領土を探しにいく
&color(green){Otto王};は&color(green){Ruedger};のためにそうそう新しい領土を探しにいく

ところが王の考えを察しなかったのか
Ruedgerの手の者を思われる''暗殺者にOtto王が襲われる''
&color(green){Ruedger};の手の者を思われる''暗殺者に&color(green){Otto王};が襲われる''

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運よく命はとりとめたもののOtto王は重傷を負う。
後にこの傷が原因となってOtto王は病死する。
運よく命はとりとめたものの&color(green){Otto王};は重傷を負う。
後にこの傷が原因となって&color(green){Otto王};は病死する。

Ruedgerをどうするか迷うも
子殺しの悪名を避けたく、前の予定通り新領土TrentにRuedgerを封じ
&color(green){Ruedger};をどうするか迷うも
子殺しの悪名を避けたく、前の予定通り新領土&color(brown){Trent};に&color(green){Ruedger};を封じ
体よく王宮から追い出すことにした。

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しかしRuedgerはこれを父の譲歩と受けとった。
Trent伯となった''RuedgerはBurgundy王位継承権があると自ら宣言する''
しかし&color(green){Ruedger};はこれを父の譲歩と受けとった。
&color(blue){Trent伯};となった''&color(green){Ruedger};は&color(blue){Burgundy王位};継承権があると自ら宣言する''

これにはOtto王も激怒。
RuedgerのTrent伯位取り消しを宣言し
元帥RoolbにRuedgerを王都Mainzに連れ戻すこと、
これには&color(green){Otto王};も激怒。
&color(green){Ruedger};の&color(blue){Ttrent伯位};取り消しを宣言し
&color(gray){元帥Roolb};に&color(green){Ruedger};を王都&color(brown){Mainz};に連れ戻すこと、
抵抗した場合は攻撃を行うよう命じた

元帥Roolbは軍勢9000を率いTrent伯国へと向かう。
元帥Roolbは懸命にRuedgerを説く。
Ruedgerも城を取り囲む軍勢に恐れをなし王命に従い
&color(gray){元帥Roolb};は軍勢9000を率い&color(blue){Trent伯国};へと向かう。
&color(gray){元帥Roolb};は懸命に&color(gray){Ruedger};を説く。
&color(green){Ruedger};も城を取り囲む軍勢に恐れをなし王命に従い
王都Mainzへと戻ることに同意する。

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王宮へと連れ戻されたRuedger。
彼と入れ替わるように
正当な次期王位継承者であるWilhelmがTrentへ送られ伯爵となる。
王宮へと連れ戻された&color(green){Ruedger};。
彼と入れ替わるように、正当な次期王位継承者である&color(green){Wilhelm};が&color(brown){Trent};へ送られ伯爵となる。

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この変から4年後、''1276年、Otto王、王都Mainzにて病没''
この変から4年後、''1276年、&color(green){Otto王};、王都&color(brown){Mainz};にて病没''

Trent伯Wilhelmは王都Mainzに戻り戴冠、''Burgundy王Wilhelmとなる''
このときWilhelm王、20歳。
すでに先代Otto王のもと西欧最大のキリスト教国として不朽の名声を得ていたBurgundy王国。
&color(blue){Trent伯};&color(green){Wilhelm};は王都&color(brown){Mainz};に戻り戴冠、''&color(blue){Burgundy王};&color(green){Wilhelm};となる''
このとき&color(green){Wilhelm王};、20歳。
すでに先代&color(green){Otto王};のもと西欧最大のキリスト教国として不朽の名声を得ていた&color(blue){Burgundy王国};。
輝く未来を約束されていると思われた。

#ref(101276Burgundy.png,nolink)

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しかし、平和に見えたBurgundy王国の裏で、ムスリム勢力は一歩一歩、王国へと近づきつつあった
そしてWilhelm王のもとRhainfelden朝Burgundy王国は、歴史最大の戦争へと突入する。
しかし、平和に見えた&color(blue){Burgundy王国};の裏で、ムスリム勢力は一歩一歩、王国へと近づきつつあった
そして&color(green){Wilhelm王};のもと&color(red){Rhainfelden朝};&color(blue){Burgundy王国};は、歴史最大の戦争へと突入する。





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**[[←十代目-Otto 前半に進む>../十代目-Otto]] [#lc10c10e]
**[[→十一代目-Wilhelm に進む>../十一代目-Wilhelm]] [#u90a885c]
**[[Rheinfelden家伝に戻る>プレイレポ/Rheinfelden家伝]] [#pa4455e0]


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