*Creating a kingdom -- County of Sjaelland *short* AAR (with v1.02) **はじめに 完成度からすればまだ荒削りで、発展段階にあると言っても良いCKですが、技術の伝播、婚姻による子作りと継承、公国や王国の建設など、EU2をはじめとした他のParadoxソフトにはない魅力を備えたゲームだと思います。 CKは未だ店頭にて販売されていないため流通も少なく、日本語のAAR(After Action Report)のような文章もあまり見かけません。そこで、簡単なAARを書いてプレイの実際を紹介してみようと思います。 このAAR(もどき?)が少しでも皆さんを刺激して、このWikiがますます発展しますように。 ***おことわり しかし、このプレイは当初AAR化することを予期していませんでした(*1)。加えてCKではHistoryがセーブデータに保存されていない(*2)ので、時間にあいまいな点があります。仕方がないので月単位で記述することにしました。また、途中から記述が薄くなりますが、初期目標には関係ない戦役が続いたため、これを極力省こうとしたものです。以上ご了承ください。 また、プレイ条件は以下の通りです; -Scenario - Hastings(1066) -Difficulty - Normal -Aggressiveness - Normal -Country - County of Sjaelland(*3) では以下、お楽しみ頂ければと思います。 *1 だって、なんかAAR化するのって恥ずかしいし… *2 データの一覧性ということが意識されない時代なので、あえて削っていると思われます。 *3 コペンハーゲンがある島に存在する伯爵領。もちろんデンマーク王国の一部。 **Getting Start -- Looking Around 紳士淑女の皆さん、ご機嫌麗しゅう。 私はSkjalm Hvide。神の恩寵に守られたデンマーク国王の家臣にしてSjaelland伯である。 これからしばらくの間、皆さんには私とともに我が伯領の発展を見守って頂こうと思う。色々と見苦しいところや分かりにくいところもあると思うが、そこは我が筆者殿の至らなさゆえ、見逃してやって頂きたい。 …それでは御託宣も長くなったことでもあるし、そろそろ始めるとしようか。 ***AARの目標 まずは目標だ。 これは極秘の情報なのだ、あなた方といえどもおいそれとは口にはできないのだが…よろしい。くれぐれも口外しないように。 私の目標は: -私ことSkjalm Hvideがデンマーク国王として即位する! これだ。この表題も"Creating a KINGDOM"とついているのだ。 我が主も、我が筆者殿も、私の栄華を望んでいるに違いあるまい? 我らがデンマークと言うのは7州から成る小さい国でもあるし(下の地図を参照してくれ給え)、偉大なる国王陛下がむやみに強いと言うわけでもないのだ。私自身は前途を楽観しておる。まあ神のお導きに任せるとしようか。 ***伯領の状態 #ref(s_SjaellandAAR_00.jpg,right,around,SjaellandAAR_00.jpg) 次に、我が領土の状態だ(詳細な地図は:[[./Images#SjaeAAR_img00]])。 我が伯領が領するのはSjaelland1州だけだ。私の身分も伯爵だから、領地を持っている部下はいない。お恥ずかしいことだが、プレイできる身分としては最低のランクなのだ… ただ、領土としては恵まれているぞ。さすがは栄えあるコペンハーゲン。王国領のBase Income(基礎税収額)は軒並み月0.60Goldとか1.20Goldと言っている中で、3.60もあるのだ。これは王都のあるSkaneと並んで豊かな土地と言えよう。隣国スウェーデンなどは王都でも3.00しかない。Manpowerは税収に直結するだけに、これは大きな強みと言える(*1)。手持ちの資産はこの通りだ; 25Gold, 100Prestige(*2), 100Piety(*3)。Manpowerは675。まあ平均的なところだ。 *1 - と言うか、実は難易度Normal初挑戦だからこんな国にしたんだけどね… *2 - 名声:領土や、王号などの称号をClaimするのに使う。 *3 - 信仰心:BBレートの下がり具合を決定する。 ***君主について 私についても一言御紹介しておく必要があるだろうか? 私、神の子我が主の僕にして偉大なるデンマーク国王の家臣、Sjaelland伯Skjalm Hvideの能力値は、軍事(Martial)7/外交(Diplomacy)7/策謀(Intrigue)8/内政(Stewardship)9(*1)。自分で言うのもなんだが、私の能力値は中々のものだ。特に内政値9というのはすばらしいな。領土が大きくなってもある程度の直轄地を治めきれる(*2)ということだ。 それに、実のところ私のような小領主は資金繰りに苦労するのだ。我が主も神殿の金貸しどもを排除なされたことでもあるから、お金を借りるところと言うのもないしな… *1 - 最高値15なのに3/4/4/3とか5/4/4/4とかって君主ばっかり担当してきた筆者にとってはまばゆい限り… *2 - 官僚制度が発達していない時代なので、領土が大きくなると中世の家政制度では治めきれなくなってしまう。 そのため配下に領土を与えて属国として間接統治するわけなのだ。 ***内政方針 さて、ついでに各Lawも変更しておこうか。 相続法はSalic Consanguinityで、最も有力な男系男子が相続するようにする。 長子相続では暗愚な息子が育ってしまった時、大いに困る。世間には息子を暗殺する人でなしどもが多いと聞くが、暗殺などに手を染めて発覚したら一大事(*1)。そのような危険は冒さずに済んだ方が良いに決まっておる。 *1 - -100Pre, -100Pieのペナルティー。 教会制度はMonastic Supremacy、修道院主導制にしよう。 王権主導ではしばしば商人どもが私の許可も得ずに金融業を始めおって、教会からは私の信仰心が疑われるし、バランス制や教区教会主導ではこれと言ったボーナスがない。消極的な理由ではあるが税収にボーナスも付くし、これにしておくとしよう。 社会制度は軍事力重視でRoyal Preorgatoryにしたいところだが… 教会制度を変えて貴族と聖職者の忠誠度が下がったところでもあるし、社会制度の変革は全階級の忠誠度が下がるから、少し思わしくない。収入に影響が出すぎて、スタートダッシュがかけられなくなってしまうのだ。とりあえず現行のTraditional customのままにしておいて、後で時期を見計らって変えることにしよう。 ***基本方針 当面の基本方針は、とりあえず王家に対抗できるだけの力をつけること。 そもそもこのゲームでは、まず異教徒どもの土地を平定して力をつけ、富を蓄え、名声を得る(*1)ことが大事だ。そうすれば目障りな豚ども(…おっと失礼)を好きなように始末することができる。評判が悪くなったところで、また十字軍に赴き、そうして帰還する。これが王道だろう。 そのようなわけで私としては、このように進めていくつもりだ: -(1)近場の異教徒ども、つまりポメラニアあたりからバルト三国にかけて分布してるPaganどもの土地を平定する。 -(2)王家に対抗できるだけの力が付いたら、踵を返して雌雄を決する! -(3)さらに異教徒を平定しつつ、他の諸侯たちを属国化、あるいは討伐して王国建国に必要な条件を満たす。 -(4)私の即位。 #ref(s_SjaellandAAR_01.jpg,right,around,SjaellandAAR_01.jpg) では、まずは東だ。Ex oriente lux(光は東方より)、とも言うしな。([[./Images#SjaeAAR_img01]])。 #clear *1 - 例えば、新しく分捕った土地の公爵になることで名声が上がる。 **When does it come? ***1071 Aug. …約5年が過ぎた。なんと、する事に事欠いた5年だったことか… この間、私は各行政官を任命し、弟の縁談を調え、領内にFishiing WharfとTraining Ground(それぞれ100G)を建て、100Gを貯蓄した。それだけだ。私にも長女が生まれたが、ああ主よ憐れみたまえ、彼女はすぐに息を引き取ってしまった… だからと言うわけではないが、そろそろ時機ではないだろうか? 当初675名だった我が軍も、1100人を数えるまでになった。現在の技術で領内に建てられる施設も、Sawmill(200G)しかない。この時点で月毎の収入は5.77Gであるから、これを支出した後、軍資金として100G程度貯めることを考えると時間がかかりすぎてしまう。真剣に進出を考える時期だろう。 さて、ではどこが良いだろうか? 当然だが、私はデンマーク王の配下だ。と言うことは、私の敵は王の敵でもあると言うことなのだ。と、すると、私が宣戦して野戦に勝ち、包囲しているところに王の軍隊が到着してしまい、王領が増えるだけの結果に終わってしまうこともあるのだ…従って、MemelやSambiaなどの一州から成る国は除外するしかない。かと言ってPommeraniaは4州も持っていて勝ち目がない。私は、MarienburgとChelminskieの2州を領有するTribe of Prussiaが格好の標的だと思う。兵も1100と350だ。 作戦はこうだ。我々は宣戦と同時にバルト海を渡り、Danzigへ向かう。王軍は正直に敵主力のいるMarienburgに向かうだろう。そこで主力決戦が起こる。思う壺だ。ここで王軍が勝っても負けても、いずれにせよMarienburgは私の手には入らないだろう。我が軍が包囲しているところに王軍が重なれば王が領有権を有してしまうのだから。だから我々は、収入は劣るが兵数350のChelminskieを急襲し、こちらから落とすとしよう。それ以上は主の御意思に任せるしかない。今は一州でも領地を増やし、力を蓄える時だ。 1071年8月、私は軍の動員を命じるとともに、Tribe of Prussiaへ戦を宣する使者を送った。 同時に、王軍も軍事行動に入る。 **Prussian War (1071 Aug. -- 1072 Dec.) ***1071 Aug. 我が軍はDanzigへ向けて渡海。 ***1071 Sep. 奇妙なことが起きた。王が、我がSjaellandの統治権を返上せよ、と迫ってくるのだ。まさか私の計画がどこからか漏れているのだろうか? いずれにせよ、これを受諾する理由などあるはずがない。私は断固として拒否した。 ***同じ月 王軍とPrussia軍がMarienburgにて衝突し、Prussia軍壊滅。王軍も大きな打撃を受けた。私の思ったとおりだ。 ***同じ月 王は何を考えているのだろうか? 主力の損害に怖気づいてしまったのだろうか。 彼は貢納金と引き換えに異教徒どもと講和を結んだ。そして、再び私にSjaellandを返上せよと迫ってくる。私は拒否する。このプロセスがおよそ2ヶ月毎に繰り返された。…王が配下の領土を狙っていると言う噂は徐々に王国全体に広がり、諸侯の疑心は徐々に叛意へと変質していく。 ***同じ月 我が軍はDanzigに到着した。一方、ChelminskieのPrussia軍はMarienburg方面に行軍しているようだ。主力が壊滅した今、Prussia軍350名がどう動こうと怖くはない。我が軍はChelminskieに向けて行軍を開始した。 ***1071 Nov. 我が軍はChelminskieの攻囲を開始。 一方Prussia軍はSjaellandへ渡り、我が領土を攻囲しているようだ。350名では城を落とすのに1年以上掛かる。 私はPrussia軍を無視して攻囲を続行するよう命じた。 ***1072 Mar. 主に栄光あれ!遂にChelminskieが陥落し、私の領土となった! Sjaellandを包囲していたPrussia軍はこの報を聞くや四散した。 私はChelminskieにておよそ200名を軍に加え、Marienburgの攻囲を開始した。 ***1072 Dec. 聖霊の導きによってMarienburgが陥落。Prussiaは滅亡した。 **Further expansion in Prussia (1073 Jan. - 1078 Summer) このようにして、我が伯領は3州を領する国家に成長した。実のところ、これで王の直轄領と同程度の勢力を有することはできた。今後は、どのようにして王の介入を防ぎつつ領土を拡張するか、と言う点が焦点となるだろう。そして、更に多くの直轄領を統治できるようになるために、当面はプロイセン公国の建国を目指すとしよう。 プロイセン公領は、すでに領有しているMarienburg, Chelminskieに加え、Danzig, Sambia, Galindiaの5州から成る。このうちの66%を領有すればいい(*1)のだから、あと2州だ。しかもGalindiaを領するTribe of Yatvyagiは先程のハンガリー戦で消耗している。 できればこのまま戦時体制を継続したいのだが、いかんせん我が国の経済がそれを許さない。今、私の手元にはたった2Goldしか残っていないのだ…今月の戦費を払えば国庫は空だ。今はこれまでとして、しばらくは兵を休ませ、資金を貯めるとしよう。。 私が軍団に解散を命じると、兵たちは長らく離れていた愛する故郷、Sjaellandへ凱旋した。 *1 - 称号を名乗るには、構成領土のうち66%を領有している事が必要。 ***1073 Feb. 長男Egilが誕生した。私に似てなかなか賢そうな子だ(8/5/6/7)。 この子が大きくなるまでに、私の夢はかなうだろうか…? ***1073 Oct. 王が私を除こうとしていると言うことは、もはや誰もが知るところとなっていた。諸侯は次は自分かと恐れおののき、あるいは兵を挙げる準備を進めていたようだ。 今月、遂にFyn伯が王に兵を向けた。これは好機かもしれない。しかし、今の私には王に討伐される理由はあっても、私が王を討つ名分がない。他国に仕える(Pledge Allegenceする)事も考えた。しかしそれは、私の王国を建国するにあたって障害にしかなりえない。国内から動けない王こそ、私が仕えるべき相手なのだ。 ***1073 Nov. 短い休息は過ぎた。戦争の季節がやってきたのだ。 王軍は反乱鎮圧に向かい、ハンガリー軍に痛めつけられたTribe of Yatvyagiはわずか200名ほどの兵を動員できるに過ぎない。今回は演習のようなものだ… 私は全軍を動員し、Marienburgへの集結を待って宣戦を布告した。 ***1074 Mar. Fyn伯に続き、Jylland伯が兵を挙げた。 王はSlesvig伯に出動を命じ、Jyllandは伯の包囲下に置かれた。 ***1074 Dec. さらに、王の息子Bornholm伯が叛いた。 王がこれを鎮圧するには数年かかるであろう。 ***1075 Mar. 今回の戦役について取り上げるべきことは何もないだろう。我が軍は勝つべくして勝ち、GalindiaとScaloviaを領有した。 次の目標はSambiaだ。4州を擁するポメラニアが領しているDanzigは避けるべきだろう。しかし、ロシア西端の君主、Polotsk公の動きにも注意しなければならない。彼は既にAukshaytsとWest Divinaを征服しており、更に西へ向かってくることもありうる。これ以上の領土を得てしまうと厄介な相手になる… ともあれ、我々にはしばらくの休息が必要だ。 ***1077 Oct. 待ちに待った時が来た。 我が軍旗の下におよそ3300名の兵が集い、国庫には100Goldが集まった。これで1年程度の戦役にも耐えられるだろう。 私は動員令を発し、全軍をScaliviaへ集結させた。 今回の目標は、Zhmud, Sudoviaの2州を領するChiefdom of Zhmudだ。情報によれば、先のPolotsk公との戦役で動員できる壮丁が激減しているとのことだ。一方、Sambiaを領するTribe of Prutheniansは1100名を擁している。まずは弱い方から叩いておきたい。 ***同じ月 主は我々に試練をお与えになった… Zhmudへ行軍すべく全軍に軍令を発して数日後、Tribe of Prutheniansが我が伯領に宣戦を布告してきたのだ。彼らに正面から決戦を挑むのであれば、もう少し兵を増やしておきたかったのだが…いまさら悔やんでも仕方がない。まずはZhmudの敵軍を粉砕するのだ。 ***1077 Nov. 我が軍はZhmudの部隊を退けた。 問題はSambiaの1100名から成るPruthenia軍だ…我々の動員兵力が3300だと言っても、あまりにも動員しすぎて疲弊した州からは動員を控えている。少しは休息を与えておかねば、Manpowerが尽きてしまうのだ。 今の我が主力は2100名。勝利は堅いのだが、痛手もそれなりにある… しかし、他に手立てはない。進軍だ!ミカエルの御加護あらんことを! ***1077 Mar. 約半年にわたる包囲の末、我々はSambiaの地を陥落させた。 Pruthenia軍は決戦に破れ主力を失った後も、数度にわたり絶望的な突撃を仕掛けてきた。我々の損害は合計で600人に及んだ。傷は浅くはないが、深手を負わずに済んだ。これならば戦闘を継続することもできるだろう… 問題なのは軍資金だ。家宰からは、すでに国庫の底が見え始めているとの報告が入っている。しかし、もはや賽は投げられた。我々は進むしかない。 ***1077 Oct. 我々はZhmudを攻略した。 既に資金は尽きている。 やむなくMarienburgのFishing Wharfを売却した(*1)が、それでも軍費を支払うことはできていない。 *1 - 資金不足時のランダムイベント。 ***1078 Jan. 補修できないままでいたSambiaのHill Fortが倒壊した(*1)。なんたる不名誉!一刻も早く戦役を終結させなければ。 *1 - 同じく、資金不足時のランダムイベント。 ***1078 May. Sudovia陥落。 私は即刻部隊を解散させ、家臣たちとの協議に入った。家宰によれば、借金の返済に半年、プロイセン公の即位式に必要な資金を調達するのには数ヶ月、Sambiaの要塞再建に2年、軍資金の貯蓄に1年かかるとの事だ。 しかし、4年も待ち続けることなどできようか!今や私こそが王国随一の実力者であり、実の息子Bornholm伯と戦闘を続けている国王を排除するのは、今しかないのだ。 私はSambiaの要塞建設案を白紙に戻すよう言い渡し、できるだけ早く即位式を挙げられるよう手配するよう命じた。 **Duke of Prussia (1078 - 1080) 主の年1078年夏、私は遂にプロイセン公爵を名乗った。 このことによる利点は2つある。 -(1)伯爵よりも広い直轄地を統治することができ、さらに家臣を伯爵として封ずることができる(*1)ようになった。 -(2)私の名声が高まったことで、他領主の正統性に異論を唱えることが出来るようになった(*2)。 この利点は大きい。 *1 - これによって直轄地を狭め、効率よく経営することができるようになる。 *2 - Prestigeを消費することによって、伯爵・公爵・国王の称号を奪うことが出来る。 まず私は王国全土に向けて、王領Skaneの統治権を主張することにした。 王国を混乱に陥れ、多くのキリスト教徒の血を流し続ける王には、もはやSkaneを統治する権利などない!天然痘(Small Pox)の流行も王の悪政ゆえだ! …私を反逆者と罵る者もあり、今までの十字軍は王位を狙ってのものかと糾弾する者もあったが、私は気にも留めなかった。今、王の直轄領はSkaneしかない。であれば、私がSkaneを奪えば王やその取り巻きどもは逃亡することしかできはしない。もはやこの王国の中に、私に刃向かう事ができる者はいないのだ。 同時に、8州にも及び、管理しきれなくなってしまった直轄地を家臣に分け与えることも行った。アメとムチと言うやつだ。 私は直轄地の中でも沼地が多く、最もBase Incomeが低いChelminskie, 及びGallindiaへ甥(*1)Bjarneを封じ、Chelminskie伯領を建てた。これによって私の評判も若干好転したようだ。あとは時期を待つのみ。その日は刻一刻と近づきつつある。 *1 - と言っても、私の私生児ではないぞ。弟Audenの長男だ。 ***1079 夏 遂にその日がやってきた。 私は公国の首都となったMarienburgから、2200名の兵を率いてSkaneに向かった。Sjaellandからは800の兵がSkaneに向かう手はずになっている。対する王軍は400名… 熟柿をこの手でもぎ取る秋(トキ)は来た。天地を創り給われた全能の主に栄光あれ! **The Throne (1081 - 1088) 私はプロイセン公にしてSamogitia公Skjalmの妻、Asbjorn Sprakaleggの娘Signe。 亡き夫の遺志に従い、我が家の年代記を書き続けることにしましょう。 ***1080 Mar. 夫の軍勢の前に、何ら抵抗する事も出来ないままSkaneは陥落しました。 国王は逃亡されたと言われています。王家のあっけない滅亡でした。 ***同じ月 夫の呼びかけに従って、Slesvig伯が忠誠を誓いました。他の伯爵たちは夫の正当性を認めず、それぞれ自立しました。 この時、私たちは7州から成るデンマーク王国のうち3州を領有していたに過ぎませんでした。夫が正当な国王を名乗るにはあと2州の領有が必要です。2州ものキリスト教徒の土地を主張するほど、我々の名声は高まってはいません… 家臣の中には異教徒の領するリトアニアを征服し、そこで王を名乗ってはどうかと申す者もおりましたが、夫は、あの人には珍しく大声を上げてその者を怒鳴りつけ、栄えあるデンマークの王位をこそ、と言ったのでした。 ***1082年 夫の軍勢は、Tribe of SamogitiaからMemelの地を解放しました。 夫は更なる威信を欲して、Aukshayts, Zhmud, Memelから成るSamogitia公の称号を狙っていました。私たちがMemelを得たことで、3州のうち2州と言う66%ルールを満たし、夫がSamogitia公爵を名乗る権利を手に入れたことになります。 ***同じ頃 夫がSamogitia公を名乗った頃、Halland伯が従属を誓いました。これで、残り1州でデンマークの玉座を手に入れることができます! 夫は、先の王に叛旗を翻したまま独立を保っていたJylland伯を僭主として非難し、討伐することを宣言しました。 ***1083年 Jan. 私たちが西を向いている頃、リトアニアの地で戦役が勃発しました。 Tribe of Lettigaliansが、Polotsk公の家臣、West Divina伯に宣戦したのです。戦力の差は歴然としています。このままではPolotsk公の更なる勢力拡大を招いてしまう。私たちは緊急に会議を開きました。夫は気乗りしないようでしたが、最終的にLettigaliaへの出兵と占領を決定しました。 ***1084年 Jun. 戦役は終結しました。 Polotsk公はかつてのデンマーク前王のように、主力決戦に勝利した後、兵を引きました。私たちはZimigalians, Lettigalians, Oeselを解放し、その勢いに乗じてKursをTribe of Curonianの手から解放しました。 ***1085年 Nov. 再び、リトアニアで戦乱が起ころうとしていました。 夫は主に見放されたかとずいぶん沈んでおりましたが…今回は、遠くエストニアのDorpatへ、キエフ公が宣戦を布告したのです。私たちはまたも出兵せざるを得ませんでした。 ***1087年 Jan. 我が夫、プロイセン公にしてSamogitia公Skjalmは神に召されました… 司祭の秘跡を受けた後、夫は私と小さな娘たちを呼び、くれぐれもEgilを盛り立て、コペンハーゲンに玉座をもたらすのだ、と言うのでした。かえすがえすも無念だ、と言い続けていたのを良く覚えています。この小さな年代記を途絶えさせる事なく続けるように、と私が言い付かったのもこの時のことでした。 ***同じ月 あまりの出来事に動転していたようです。リトアニアの事を忘れていました。 結局キエフ公はDorpatを手に入れ、私たちはLivs, Reval, Narvaの3州を獲得しました。夫はそのまま兵を解かずにJyllandへ宣戦を布告し、軍令を下しましたが、これが夫の最後の命令になったのでした。 彼の死は少なからぬ動揺をもたらしたようでしたが、全ての者たちがSudovia伯になっていたEgilに忠誠を誓い、Egilは夫の全ての称号と財産を継承する事を宣言しました。あの子はまだ14歳で、懸命に大人びた振る舞いをしているのがけなげでした。 ***1087年 Jul. ほとんど抵抗を受ける事もなく、私たちはJyllandを陥落させました。 夫の念願もこれでかなえられます…あの人は彼岸から喜んでくれているでしょうか? ***1088 Sep. 1 プロイセン公にしてSamogitia公Egilは、主の導きによってデンマーク国王として即位しました。 天地を創り給われた全能の主に栄光がありますように。 そして、我が子Egilとデンマーク王国に引き続き神の御加護がありますように。Amen. **AAR終了時のデータ ***Kingdom of Denmark #ref(s_SjaellandAAR_02.jpg,right,around,SjaellandAAR_02.jpg) ([[./Images#SjaeAAR_img02]]) -Monthly Income -- 38.61 -Efficiency -- 66% -3Gold, 370Prestige, 45Piety -Manpower -- 4298 -Realm -- Vassal(属国) 6, Demesne(直轄領) 12 ***Egil Hvide, King of Denmark #ref(s_SjaellandAAR_03.jpg,center,around,SjaellandAAR_03.jpg) ([[Images#SjaeAAR_img03]]) ([[./Images#SjaeAAR_img03]]) #clear **おむすびころころ いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけましたか? 気付いた方も多いかと思いますが、戦闘で苦労したのは最初だけです。弱い敵を選び、さらにその敵が争いあって弱っていたからなおさらでした。デンマーク王が繰り返しRevoke Title(称号返還要求)をしてきたのは訳が分かりません。王国が狙ったかのように分裂してしまったので、ちょっと拍子抜けでしたし… ともあれ、まだCKは発展途上と言っても差し支えありません。AIは戦力を集中して投入することが出来ず、正直に言って強くはありません。バグも散見されます(1.03でFixされますが)。 しかし、このAARのような下克上、あるいは婚姻による乗っ取り、グローバルイベントでは13世紀中葉のモンゴル軍侵入、14世紀のペスト大流行など、中世の魅力を充分に感じさせてくれるソフトであると言ってよいでしょう。改良については定評のあるParadox社ですから、今後のパッチによってEU2のように練りこまれたゲームになっていくのでしょう(EU1では世界征服も結構簡単でした)。CKのこれからには要注意ですよ。 このAARによって、日本のParadox界(?)がさらにさらに発展しますようにって、ちょっとおおげさですが。 ---- 2004年6月1日 with CK1.02(English) God Save the Polis!