***ブーシャールの治世 [#ma926df6]
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 フランス王ブーシャール

***対英戦争 [#k83c279b]
フランス王となったブーシャールは、フランスにある他国の領土を回収しようと考えた。
そんなときトロワを領有していたウェールズのグウィネズ伯が独立していたため、ブーシャールはトロワ割譲を要求して宣戦布告した。
トロワは問題なく陥落し、あとはウェールズに向かった遠征軍がグウィネズを落とすのを待つのみとなったころ、同盟者であるイタリア王から使者が訪れた。
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 コンラート4世治下のイタリアはアイルランド諸侯を臣従させ、イングランドを牽制していたが
 コンラートの死後アイルランド諸侯は独立を宣言し、ついにはイングランドと組んでイタリアに宣戦布告した
イングランド王国はフランスのアンジューに領土を持っていたが、ブーシャールはアンジュー公とアンジュー伯の継承権を持っていたため、
フランスにおけるイングランドの影響力を排除するべくイタリアの側に立ってこの戦争に参戦した。

ブーシャールの作戦
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 フランドル軍2万を主力としてロンドンに上陸、イングランド軍主力と交戦する
 ナントの軍は既にウェールズに向かっているアルク軍と合流してウェールズを制圧
 アンジューはオルレアン軍が回収し、その他の軍は戦況に応じて領土の防衛や主力の増援を行う

戦争の経過
1211年9月 開戦
1211年10月 アンジュー占領
1211年12月 グウィネズ伯降伏、トロワを割譲させ臣従させる
1212年1月 フランドル軍、ロンドン上陸、攻囲開始
1212年2月 ウェールズ制圧
1212年3月 ロンドン占領、フランスに領土を持つイングランド側領主、ブロワ伯とトゥレーヌ伯に宣戦布告
1212年5月 ブロワ伯を併合
1212年7月 トゥレーヌ伯を臣従させる
1212年8月 ヨーク占領、ネーデルラントでイタリア軍と交戦していたイングランド軍主力がフランドルに侵入、各都市を包囲される
1212年9月 ブリテン島ほぼ掌握、ヨークに守備隊を残してフランドル軍は帰国
~1212年12月 一時ブラバントでイングランド軍との会戦に敗れるもフランドルを奪回

こうしてフランス軍はイングランド領のほとんどを掌握し、1213年の初めにイングランドとの間に講和条約が結ばれた。
イングランド王はアンジュー公位の引渡しを頑なに拒んだため、アンジュー伯位のみが条件となった。
この戦争でイングランドのフランスに対する影響力は完全に失われた。
しかしフランスの勢力伸張に危機感を抱いた周辺諸国が様々な形でフランスを牽制してきたので、ブーシャールは領土拡大の手を止めなければならなかった。
また、この戦争で疲弊した民衆や諸侯は国王に不満を抱き、ブローニュ伯をはじめとする一部の諸侯は謀反を起こし、ブーシャールはその鎮圧に向かった。

***死 [#q9b36683]
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1213年12月、ブローニュ伯との戦いでブーシャールは敵の矢に当たり、戦死。38歳であった。
長子のルイがフランス王ルイ6世として即位した。

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