家系図(ブーシャール以降)
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 フランス王アンリ2世

***キリスト教徒との戦争 [#t8a6cd78]
アンリは父が残した遺産を最大限に利用した。
即位から半年後には領土がアルトワ一州のみにまで縮小したオクシタニア王国を1ヶ月で併合し、
その2年後にはドイツの王位がカール大帝の血を引かないスラヴ人の手中にあるのは不当であるとしてドイツ王位を要求、宣戦布告した。
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  1.献金イベント発生
 ニア2.信仰心下落、75%の確率で教皇が怒るイベント発生
これに対しフランスの過度な勢力拡大を望まないローマ教皇アレクサンデル4世は勅書を出して停戦を命じたが、
アンリは戦争終結後に十字軍に参加することを条件にこの勅書の撤回を認めさせ、教皇との対立を回避した。
やがて1年にわたる戦争の末にアンリはドイツ王を降伏させ、自らがドイツ王ハインリヒ5世として即位した。1245年8月のことである。

***異教徒との戦争 [#u004bce8]
ドイツ王位を手に入れたアンリは教皇との約束を果たすべく十字軍遠征に向けての準備を進めた。
今回の十字軍の目標はコルドバであったが、ヴェネツィアやナポリによって何度か占領されたことはあったものの、
結局コルドバが安定してキリスト教徒の支配下に収まったことは一度もなかった。
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 アンリは4万2千の兵を動員して封臣の支配するリスボンから上陸し、異教徒の支配するエヴォラを落とした後コルドバを攻撃するという無難な作戦をとった
アンリの十字軍参加は大きな反響を巻き起こした。
ザクセン公をはじめとするフランスの封臣たちは十字軍への参加を表明し、
レコンキスタを目標に掲げるレオン王国はレオン王のコルドバに対する支配権を認めることを条件にアンリへの協力を申し出た。
アンリはこれを受け入れ、フランス・レオン連合軍によるエヴォラ及びコルドバへの攻撃は速やかに進み、1246年の春には両都市が陥落した。
この後もアンリは翌年の春にかけて南イベリアのイスラム勢力を攻撃し、エヴォラを含め4つの州を征服した後帰国した。

***皇帝即位 [#n3dbc939]
帰国したアンリに対し、教皇アレクサンデル4世は十字軍戦士としての功績を賞賛する書状を送り、
さらにその功績と威信に鑑み、アンリに西ローマ皇帝の位を与えることを提案した。
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アンリはこの提案を快諾し、1247年8月10日、ローマで盛大な戴冠式が行われ、アンリは西ローマ皇帝となった。
教皇によるローマ皇帝の任命はドイツ王ハインリヒ3世以来ほぼ200年ぶりであった。
戴冠式を終えたアンリがパリに帰還したときのパリの熱狂ぶりを当時書かれたアンリの伝記が伝えている。

 '''「皇帝アンリがローマから帰還したとき、それを迎えるパリ市民のうちでこのように歓呼せぬ者はいなかった。'''

   '''『ローマ皇帝、フランク人の王、オクシタニアとナヴァラの王、大帝シャルルの後継者にして敬虔なる征服者アンリ万歳!』'''

     '''齢二十八にして大帝の後継者となった若き皇帝アンリを全ての僧侶と貴族と民衆が昼夜を通して讃えたのであった。」'''

                                                            ― ジョアンヴィル「大帝アンリの生涯」より

ヘルベルトの代に始まるヴェルマンドワ家の夢は、シャルルマーニュから17代目の子孫であるアンリによってついに果たされたのであった。

(完)

***最終資産 [#l5ae12cf]
 ''資金110296、威信8711、信仰369''

***最終領土 [#j6eb76e5]
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 この他にイベリア半島南部に飛び地あり

***最終資産 [#l5ae12cf]
 ''資金110296、威信8711、信仰369''

TIME:"2010-07-20 (火) 19:51:14"

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