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*マヌエル2世が語る 2 [#c70a422b]
#ref(manuelpp.jpg,nolink)
辺境の、くだらない意地の張り合いじゃないの?

**1447年6月30日、ボスニア・クロアチア国境 [#e905f497]
&ref(loius_danjoupp.jpg,nolink); ルイ・ダンジュー)先週、おたくの猟師組がアンジュー領で狩りをしたようだが。
&ref(bozidar_kotromanicpp.jpg,nolink); ボジダル・コトロマニク)知らないね。それよりこないだの件について釈明したまえ。
&ref(loius_danjoupp.jpg,nolink); 口をつつしめ、田舎王。公と同格のくせに。
&ref(bozidar_kotromanicpp.jpg,nolink); ルイ・ダンジュー。君は僕を怒らせたようだ……!

#ref(louisdanjourival.jpg,nolink)

知れば知るほど、仲が悪くなる隣人っていうのがいるけど、
ボスニア王ボジダル・コトロマニクと
両シシリーおよびハンガリー王ルイ・ダンジューはまさにそういう関係だった。
僕ならそんな連中は放っておくけどね。

&ref(alexiospp.jpg,nolink); [[アレクシオス>プレイレポ/パレオロゴス家/ダヴィドが語る#alexiosfamilytree]])いかなる場合も、セルビア王は臣下と共に戦う。

ああ、やってしまった。
アレクシオスはボジダルを守るため、セルビア王国のすべての貴族に召集をかけた。

わかるね。
もはや辺境の小競り合いじゃない。
アンジュー家とパレオロゴス家の戦争になってしまった。

**アンジュー戦争 [#w7b12b74]
#ref(armeniaattack.jpg,nolink)
&ref(bulend_ofkhopyorpp.jpg,nolink); ビュレンド・コペル)我が友アレクシオスが攻撃にさらされています。
&ref(bulend_ofkhopyorpp.jpg,nolink); 義兄上、なぜすぐ援軍を送らないのです。

友情万歳。
僕はしかたなく中央軍25000に召集をかけた。
皇帝はめんどくさい。

&br;
この戦争からは何も期待できない。
ルイ・ダンジューが有する称号は無数にあるが、
僕がローマ皇帝として彼に要求できる称号はひとつもない。
せめて簒奪できないかと思ったら——

#ref(grabtitle.jpg,nolink)
 伯号の簒奪に要する威信:1800前後
#ref(grabtitle2.jpg,nolink)
 王号の簒奪に要する威信:49000
#ref(manuelprestige1447.jpg,nolink)
 マヌエル2世の威信 : 2633

何も期待できない!

**戦線にて [#pbc849ac]
&ref(gunespp.jpg,nolink); ギュネス・コペル)'''お怪我なさってませんか。食べ物は口に合いますか。'''
&ref(gunespp.jpg,nolink); '''バシレイオスはよちよち歩きができるようになりました。'''
&ref(gunespp.jpg,nolink); '''バシレイオスは陛下にそっくりです。でも目元は母親似かも。'''&ref(basileios1.jpg,nolink);
&ref(gunespp.jpg,nolink); '''頑張ってね。'''

#ref(hungarianfront1477.jpg,nolink)

1447年7月、僕は中央軍を率いてセルビア・ハンガリー国境へ向かった。
皇帝のやる気のなさが伝わったのか、
兵士たちの戦意は非常に低い。

ドナウとその支流を何度渡ったことやら。
僕はもう一生ハンガリーから帰れないんじゃないかと思い始めた。

&br;
#ref(bulenddeath.jpg,nolink)

よくない知らせだ。
アルメニア王ビュレンド・コペルがいくさの傷を悪くして死んだ。
タオ領をめぐるグルジア王イグナティオスとの戦いは
うわさ以上に厳しいものだったようだ。

ビュレンドは子を残すひまもなかった。
王位を継承したのは姉ギュネス・コペルの子。
そう、まだ1歳にしかならない僕の息子、バシレイオス・パレオロゴスだ。

#ref(basileios0.jpg,nolink)

もちろん現地へバシレイオスをやるわけにはいかない。
僕が摂政として後見すべきだ。それはわかってる。

でも、一瞬たりとも手を離せないんだ。
ここは前線。
戦役に出たことのある人はわかってくれると思うけど、
あんまり戦いが激しくなってくると、難しいことを考えられなくなる。

ああ、そうだ。ガブリエルがいるじゃないか。
アルメニアは彼にまかせよう!

**蝕まれる帝国 [#b6776a4b]
冬が来て、春が来て、夏になった。
僕はまだドナウの岸辺で戦っている。

&ref(yakut_ofkhopyorpp.jpg,nolink); ヤクート・コペル)'''イタリア派遣軍より報告。'''
&ref(yakut_ofkhopyorpp.jpg,nolink); '''要衝バリを抑え、王都サレルノへ進撃中。'''
#ref(italia144807.jpg,nolink)
 アプリア公位(威信1000)簒奪によってリーズナブルに2伯を臣従させた
&ref(yakut_ofkhopyorpp.jpg,nolink); '''だが北伊からの援軍で敵の戦力が増している。'''
&ref(yakut_ofkhopyorpp.jpg,nolink); '''冬までバリを確保できる見込みがない。早期休戦を。'''

&br;
&ref(gabrielpp.jpg,nolink); 宰相ガブリエル)'''よく聞いてくれマヌエル。'''
&ref(gabrielpp.jpg,nolink); '''帝国は叛乱によってイェルサレムを失った。'''
&ref(gabrielpp.jpg,nolink); '''そしてアルメニアはもはや崩壊状態だ。'''
#ref(armenia1448.jpg,nolink)
 幼王バシレイオスに対するアルメニア諸侯の反発は強かった
&ref(gabrielpp.jpg,nolink); '''すぐに帰ってきてくれ。僕だけじゃ抑えきれない。'''

&br;
&ref(alexiospp.jpg,nolink); アレクシオス)もう充分だ、マヌエル。
&ref(manuelpp.jpg,nolink); 何をいう。皇帝は臣下を残して退却したりしない!
&ref(alexiospp.jpg,nolink); いいんだ。あとは僕らにまかせろ。君は東方へ戻りたまえ。

アレクシオスは僕を説き伏せた。
僕はルイ・ダンジューと和議を結び、東部国境へ馬を走らせた。

&br;
#ref(serbiasicilywhitepeace.jpg,nolink)

9ヶ月後、アレクシオスはセーケシュフェヘルバルの平原で
両シシリー王国軍主力に決戦を挑んだ。
そして見事勝利し、ルイ・ダンジューから白紙和平を勝ち取った。

&br;
#ref(bulgaria1450.jpg,nolink)
#ref(alexios2.jpg,nolink)

さらに1450年7月。
[[女王アナスタシア>プレイレポ/パレオロゴス家/イサキオス4世が語る#anastacia]]の死によってアレクシオスはブルガリアを相続。
ブルガリア=セルビア王として帝国西方の強力な盾となった。

アレクシオスは立派なパレオロゴスだ。
彼を心のどこかで軽んじていたことを、僕は恥ずかしく思う。

**デッラ=スカラ家の名誉 [#ae76abc0]
僕はアルメニアを放棄せざるをえなかった。

#ref(ignatios.jpg,nolink)

[[イグナティオス・パレオロゴス>プレイレポ/パレオロゴス家/ダヴィドが語る#adrianosfamilytree]]のせいだ。
彼はバシレイオスから離反した諸侯を誘って領地を拡げている。
くそっ。
ビュレンドの死も、元はといえばあいつのせいじゃないか。

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離反諸侯はあくまでアルメニア王臣だ。
僕に懲罰の権限はない。
無理に手出しをしようにも、
アンジュー戦争でバリ領を強奪したことで僕の威信は減少している。
アルメニアへ行っても何もできないってことだ。

&br;
だからパレスティナへ行った。

1449年5月、僕はパレスティナ一帯を制圧し、
ふたたびイェルサレムに入城した。

#ref(annibale_dellascala.jpg,nolink)

蜂起の首謀者、イェルサレム公アンニバレ・デッラ=スカラは
パレオロゴスの家令フェリシタ・デッラ=スカラの弟だ。
蜂起の首謀者、イェルサレム公アンニバレ・デッラ=スカラだ。
密偵頭ソフィア・ダルマニャックの息子で、家令フェリシタの弟にあたる。
[[モンフェラート・パレオロゴス家>http://en.wikipedia.org/wiki/Theodore_I,_Marquess_of_Montferrat]]の血統に免じて、
アンニバレにはもう一度チャンスを与えることにした。

ところがだ。
その舌の根もかわかぬ1450年の冬、
アンニバレはまたしても帝国に叛旗をひるがえした。

#ref(annibalebrokefree.jpg,nolink)
 ラテン貴族、ローマカトリック、遠隔地領土と三拍子そろってしまった

&ref(manuelpp.jpg,nolink); もう我慢できない。妃よ、すまないがまた外征だ。
&ref(gunes2pp.jpg,nolink); ……はい、陛下。お体だけは気をつけてくださいね。

&br;
僕はギュネスの言葉なんか耳に入らないくらい激怒していた。
みずから軍を率いて海を渡り、津波のようにパレスティナを襲った。
みずから軍を率いて海を渡り、
津波のようにパレスティナを襲った。
そして1451年4月4日、イェルサレムへ三たび入城した。

&ref(manuelpp.jpg,nolink); デッラ=スカラ、覚悟はできているだろうな。
&ref(annibale_dellascalapp.jpg,nolink); 僕を排除できるのか? やってみろよ。
&ref(annibale_dellascalapp.jpg,nolink); 姉様は帝国の金庫番だし、母様は密偵頭なんだぞ?

#ref(spymasterservedyou.jpg,nolink)
 「ソフィア・ダルマニャック、4人の皇帝にお仕えしてまいりました」

ところが、母親のダルマニャックは僕以上に激怒していた。
アンニバレはこっぴどく叱られたあとで、
ひそかにジェノバ共和国へ逃がしてもらったとかなんとか。

#ref(annibale_dellascala2pp.jpg,nolink)

&br;
**別れ [#id276723]
帝都へもどる途中、空の色がおかしかった。
僕は不吉な予感におそわれて船着き場の階段を駆け上がり、
ブラケルナエ宮殿へ急いだ。

#ref(gunesdeath.jpg,nolink)

ギュネスはもういなかった。

ついさっき、緋色の間で5回目の出産に臨み、
そして亡くなったのだとガブリエルとフェリシタから聞いた。

&ref(gabrielpp.jpg,nolink); マヌエル、しっかりしろ。
&ref(gabrielpp.jpg,nolink); 君は皇帝だぞ。帝国がその肩にかかってるんだ。

&br;
帝国なんか、いらない。
ギュネスを僕に返してくれ。

#ref(gunes2.jpg,nolink)
 1451年8月 皇妃ギュネス・コペル死亡

&br;
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TIME:"2010-11-08 (月) 07:11:03"

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