[[プレイレポ/スクリーンショットで見る十字軍物語]] &ref(1066.jpg,nolink); 第一回十字軍の主役・フランス王国 王フィリップはまだ未成年で、 ブルターニュやノルマンディーも領土の枠外にある。 フランス王国は当時王権が弱く、直轄領はイル・ド・フランスとオルレアンだけの弱小君主だった。 フィリップ一世は未成年のときに王冠を継いだために国内の反発もつよく、 王権を強化するために王は「なにごとか」を起こす必要に迫られていた。 そしてその「なにごとか」は、およそ十年後にローマからもたらされるのであった。 &ref(1075.jpg,nolink); 1075年、エルサレムを目標とした第一回十字軍がはじまった 東の横綱ビザンツ帝国はセルジューク・トルコとの戦いに劣勢であり、 トルコ勢を打ち負かすためにラテンの異端の援軍を求めた。 特使がローマを訪れ、イスラム勢との戦いに兵を挙げるように要求。 ローマ教皇はエルサレムを目標とした十字軍を呼号する。 &ref(1082.jpg,nolink); 「主の御心のままに!」 フランス王フィリップは未成年の頃から特質に「不信心」をもっていた。 これは陰謀の能力値にボーナスがつくものの、信仰の値が年々低下し、 教会に敵対するマイナスイベントが多く発生するため、王は(というかプレイヤーは)この特質がなくなることを望んでいた。 「十字軍に加われば、神は不信心をお赦しになるでしょう」 王は十字軍の遠征に出ることを決断した。 &ref(1083.jpg,nolink); 総勢25000余りのフランス軍が地中海を渡った 王は大動員を発せられ、フランス全土から軍を南仏に集結された。 アキテーヌ公の15000の軍勢が揃って離反するなどのアクシデントもあったが(アキテーヌ公はフランス王の封臣でいることをやめたのである)、 王はなんとか25000余りの軍勢をかき集められ、イタリア商人の助けを得て、エルサレム近郊に遠征先を指示なされた。 このような大人数が地中海を渡るなどということは、ここ数百年以来なかったことであった。 &ref(1083-2.jpg,nolink); アスカロンの戦い フランス軍の先陣をきったドーフィネ公がアスカロンでエルサレム首長国軍の守備兵を破った 二ヶ月から三ヶ月に渡る航海の最中、一割ほどの兵が戦線離脱した。 しかしその他の兵は無事に中東に上陸し、エルサレム近郊で戦闘を開始した。 フランスのアルタウト・ドーフィネ公は3000余りの部隊を率いてアスカロンで敵勢を破り、 後援を得てエルサレム攻囲の助攻を勤めた。 &ref(1084.jpg,nolink); 包囲下のエルサレム 1082年にフランスを進発したフランス軍は、1084年にはエルサレムを包囲下に置いた。 エルサレム、ジャッファ・アスカロン、トランスヨルダンなどでフランス軍は勝利を重ね、 この年の暮れにはエルサレム占領とともにエルサレムの王号を得られる10領邦を占領することに成功した。 フランス王フィリップは弟のユーグをエルサレム王に任じた。 &ref(1085.jpg,nolink); エルサレム王ユーグ・カペー フランス王フィリップの弟ユーグは、疑り深い性格だったが宗教心篤く、精力的な側面をもっていた。 彼は十字軍の運動にも熱心であり、オルレアンの軍勢を率いて十字軍に参加した。 その功績を評価されて、彼は1085年にエルサレムの王冠を頭上に戴いた。 彼は「このような王冠を戴いた男子はあまり多いものではあるまい」と言ったという。 &ref(1085-2.jpg,nolink); 1085年の中東情勢。赤枠がエルサレム王国の版図。 1082年から1085年にかけての第一回十字軍により、キリスト教世界はエルサレムを獲得した。 フランス王によってその地に打ち立てられたエルサレム王国は、しかし次の世紀の間に生き延びることはできなかった。 エジプト王国やセルジュークトルコといった諸勢力による外圧や、王国内の内憂が王国を待っていたのである。 エジプト王国やセルジュークトルコといった諸勢力による外圧や、王国内の反乱がこの国を待っていた。 &ref(1085-3.jpg,nolink); 「神は満足なされた。」 しかしそれでも、第一回十字軍はエルサレム王国建国という目的を達成し、成功したといえるだろう。 [[プレイレポ/スクリーンショットで見る十字軍物語]] TIME:"2010-12-11 (土) 14:26:11"