[[プレイレポ/わがシドの歌]] レコンキスタの英雄、雷神と呼ばれたエルシドは死んだ。 あとには、彼の未亡人が残された。 *アルドンザ・デ・ヴィヴァル [#h1aa4b86] #ref(kounotori.jpg,nolink) 妻は妊娠していた。 エルシドの葬儀が盛大に行われていたちょうどその頃、彼の未亡人のおなかには新しい生命が宿っていた。 カステラ王国の王族の血をひく((エルシドの妻はカステラ王の王女。))その子が、男子なのか、女子なのか、その時は分からなかった。 カステラ王アルフォンソは、もしもその子が男子ならば、(継承権が発生するため、)アサシンを送って暗殺する用意までしていた。 しかし、数か月後生まれたその子は女の子だった。 彼女は母の名前をとってアルドンザと名付けられた。 #ref(aldonza.jpg,nolink) エルシドの一人娘。アルドンザ・デ・ヴィヴァル。 カステラ王アルフォンソは、その子を修道院にでもいれて一生独身でいさせ、世俗の喜びとは無縁にしようとした。 未亡人は父のその所業に涙ながらに抗議し、エルシドの子であっても人並みの喜びを追及する権利はあるはずだと訴えた。 未亡人は、エルシドの死後に仲良くなった地方の伯爵のもとに亡命し、一人娘アルドンザ・デ・ヴィヴァルを育てたのだった。 *カステラ王国の宮廷陰謀 [#s6d2968b] ところで、ここでカステラ王国の宮廷の話をしよう。 カステラ王アルフォンソとその王妃は、あまり仲が良くなかった。 まず王妃が廷臣と浮気し、その後、報復のためか王アルフォンソは隣国の令嬢と恋人関係になった。 アルフォンソ王は愛人の教唆で一度は王妃の暗殺を企てたが、これは失敗に終わった。 王妃はますます疑り深くなり、愛人と王のことを憎んだ。 王妃は王に対して、愛人問題を公にすると脅した。それも二回も。 しかし王は王妃の脅迫に屈せず、愛人との関係を続けた。 王の信仰はこの風評被害のために著しく傷つけられた。 王はその後、愛人と別れたが、王妃との冷たい関係はもとに戻らなかった。 王妃はその後、宮廷の殺人事件にまきこまれて殺害された。((ここで王妃を殺害したのが、娘のアルドンザ・ヒメネスだった。)) カステラ王国の宮廷陰謀劇はこれでおしまい。 *レコンキスタ、1094 [#w056d68a] #ref(Reconquista.jpg,nolink) レコンキスタ、1094年。 カステラ王国に風雲急の時が迫っていた。 #ref(1094.jpg,nolink) イベリアを半分ずつ収めたカステラ王国とセビリア首長国が戦争状態に入った。 1094年、同盟状態にあったカステラ王国とセビリア首長国が戦争状態に入った。 双方ともそれぞれイベリア半島の半分ずつを納める大諸侯であり、この戦争がイベリア半島の行方を決するであろうことは明らかだった。 アルフォンソは軍に大動員をかけ、南へ向かって進軍させた。 カステラ王国は40000人の動員が可能で、他方セビリア首長国は30000人の動員が可能だった。 アルフォンソは内心、「エルシドが生きていれば、もっと心強かっただろうに」と思ったという。 #ref(toledo.jpg,nolink) トレド攻略戦。 カステラ軍の初期作戦は、国境地帯のセビリアの封臣たちを各個撃破し、セビリアの動員兵力を削ぐというものだった。 その目的のために、カステラ軍はドウロ河を渡ってトレド攻略に乗り出した。 しかしトレドは堅く、凡庸なカステラの将軍はこれを抜くことができなかった。 アルフォンソは戦略を修正し、セビリアの封臣とは積極的に和睦し、戦略目標をセビリア首長国の直轄領のみにしぼることにした。 さらにアルフォンソは得意の謀略を戦略に組み込んだ。 カステラ王国のアサシンたちがセビリアの猛将、アバド首長を暗殺することに成功した。 アバド首長は軍事12の有能な将軍で、カステラ王国の兵士たちに恐れられていたからだ。 #ref(abbad.jpg,nolink) アバド首長。アルフォンソに暗殺された。 #ref(mohammed.jpg,nolink) アバドの継承者モハメド。この若い青年にセビリアのムスリムたちをまとめることは難しく、首長国は戦時にもかかわらず内乱に陥った。 カステラ軍は混乱するセビリア軍を各地で打ち負かし、主要な都市を占領し、セビリア首長国を屈服させた。 #ref(1095.jpg,nolink) レコンキスタ、1095 セビリア公を剥奪したカステラ王国のもとに、旧セビリアの封臣たちは付き従った。((ハウスルールに抵触すると指摘される方がいらっしゃるかもしれないが、これは戦争の条約でイスラム諸侯を封臣にしたのではなく、公爵位をはく奪するときに必然的に付随する現象なので問題ないと判断した。)) このムスリムたちの服従によって、カステラ王国のレコンキスタはほぼ完了したと見られている。 あとはバタホス首長国やグラナダ首長国といった小さな首長国がのこっているものの、彼らにカステラ王国に挑戦するちからはもう残っていないだろう。 *アルフォンソの死、そして・・・ [#u8a58c16] #ref(Alfonso.jpg,nolink) アルフォンソ6世。12世紀の絵画。カステラ、およびレオン王。ガリシア公。数々の軍略と謀略の結果、レコンキスタを達成。 1007年、カステラ王アルフォンソは老衰で死んだ。67歳だった。 謀略で彩られた生涯だったが、イベリア半島にカトリックの勢力を拡大したことは教皇の覚えめでたく、彼は聖人に列せられた。 後継者はナヴァラとアラゴンの両王冠をもつ、ガルシア・ヒメネスだった。 彼は「大王」フィルデナントの弟、ナヴァラ王の系譜を継ぐ男子である。 #ref(garcia.jpg,nolink) カステラ、ナヴァラ、アラゴン、レオン、およびポルトガル王ガルシア。この時13歳。 ガルシアはすくすくと成長した。 彼は信仰篤く、謙虚で、公平で、要領のよい青年になった。 #ref(garcia2.jpg,nolink) カステラ、ナヴァラ、アラゴン、レオン、およびポルトガル王ガルシア。この時16歳。 カステラ王国の宮廷はこの若き王に相応しい伴侶を見つけようとした。 そして、遠くエル・ビエゴ伯((のちレオン公に叙せられた。))の宮廷にぴったりの女性を見つけた。 #ref(wife.jpg,nolink) アルドンザ・デ・ヴィヴァラ。エルシドの一人娘。 ガルシアとアルドンザはカステラの大聖堂で結婚式をあげた。 それは盛大な式だった。 それはそれは盛大な式だったということです。 #ref(marrige.jpg,nolink) ガルシアとアルドンザの結婚式。 こうして、エルシドの娘はカステラ王に嫁ぎ、二人は永遠に幸せに暮らしましたとさ。 おわり [[プレイレポ/わがシドの歌/後書き]] [[プレイレポ/わがシドの歌]] TIME:"2012-01-05 (木) 12:56:27"