[[フランケン朝の中興]] ***プレスター・ジョン [#z95738bf] #ref(prester_01.jpg,nolink) 1200年5月、東方諸侯から「謎の異民族から攻撃を受けており援軍を請う」との報告が宮廷にもたらされた。 当初、宮廷内ではこの異民族が何者であるかを把握しきれず、 「東方へ逃れたイスラム勢力の残党である」との噂や、「いやいやインドからの遠征軍である」や 果ては「東方の三博士の子孫の国が、教皇領を滅ぼした皇帝に天罰を与えにきた」など様々な流言飛語が飛び交った。 (異民族の王がKhouryを姓としていたことから生じた噂であったと考えられている。) その後次第に、東方の草原を制した巨大な騎馬帝国の軍が、 ついにヨーロッパにまで押し寄せてきたのだということがおぼろげながら判明すると フリードリッヒ帝は、バグダッドを中心とする南方軍とビザンティオンを北方軍を救援に向かわせた。 フリードリッヒ帝は、バグダッドを中心とする南方軍とビザンティオンを中心とする北方軍を救援に向かわせた。 ---- ***敗退 [#q9936006] しかし、すぐに皇帝はこの草原の王の実力を過小評価していたことを思い知ることになる。 イスラムを駆逐し、大帝国を築き上げた帝国の主力軍も、 イル・ハン軍の主力である弓騎兵の速度を生かした遠距離射撃を前に為す術がなく敗退を繰り返すこととなる。 #ref(prester_02.jpg,nolink) 1万以上の軍を動員しての戦闘は、1200年から1201年の間に10数回以上繰り広げられたが 帝国軍がイル・ハン軍に勝利できたのは、わずか一回のみであった。 #ref(prester_03.jpg,nolink) 【貴重な勝利の瞬間。率いるは皇帝の兄であるハインリッヒ。(軍事能力19の素晴らしい戦略家)】 しかし、ただ一度の局地戦勝利では戦局を変えるには至らず、 その後もイル・ハン軍の快進撃は続くこととなる。 じわりじわりではあるが、帝国領土は確実に侵食されていったのである。 #ref(prester_00.jpg,nolink) ---- ***諸侯の独立 [#o07bd385] この帝国軍の敗退につぐ敗退が諸国に伝わると、 諸侯の中には皇帝に謀反し、イル・ハン軍と密かに内通する者も出てくるようになり、 帝国は、敵国の侵入と同時に諸侯の反乱も相手にしなくてはならなくなったのである。 #ref(prester_04.jpg,nolink) 内憂外患を抱えることで13世紀は始まったのである。 ---- ***イル・ハンの脅威 [#da1491fb] さらに、イル・ハン国に後続の援軍が到着し、総勢10万近い大軍となったとの報告を受けると さすがのフリードリッヒ帝も顔を青ざめる他なかった。 #ref(ill.jpg,nolink) 10万近い大軍を一時に運用するような高度な組織体系を帝国は擁しておらず、 戦場では、せいぜい数万の軍を維持・運営できれば御の字という低落に対し、 イル・ハン国は東方での数多に渡る争いで培ってきたのであろうか、 このような大軍を容易に操る能力に長けていたのである。 東方の高度に要塞化された都市も、イル・ハンの大軍を前には陥落を余儀なくされ 次々と攻め滅ぼされていく他なかったのである。 ---- ***反撃 [#m023498d] イル・ハン国がカスピ海周辺を支配下に置きつつある中、帝国は一人の傑物を得ることとなる。 皇太子ベルンハルトの成人を機に、アルトマルク侯爵家から皇太子妃として迎えたウテである。 #ref(ute.jpg,nolink) 彼女は当時の女性としては珍しく、男性顔負けの教養と意志の強さを兼ね備えており、 女性としては、初の帝国大法官(帝国宰相)に就任すると、 かねてより帝国に反旗を翻していた一部の諸侯との和睦に成功。 分解しつつあった帝国の再統合に成功したのである。 ウテ宰相によって帝国の内乱が一定の終息を見始めると、 フリードリッヒ帝は、イル・ハンとの戦争に力点を置けるようになる。 帝都ヴュルツブルク防衛のため、イル・ハン戦役に投入できずにいたヴェネチア軍を動員し、 皇帝自ら、イル・ハン討伐のための東方遠征を行ったのである。 この派遣されるヴェネチア軍には、イル・ハン国の弓騎兵への対抗策として 新型の鎧(リジッドレザー、スケールレザー、フルチェインメイル)が支給されており、戦果が期待されていた。 #ref(vene.jpg,nolink) 【肝心の対弓騎兵の画像は撮り忘れてましたorz】 ヴェネチア地方で開発されたこれらの鎧はイル・ハン国の主力である弓騎兵の射撃に対し、 当初期待されていた以上の効果をもたらし、戦争の分水嶺となったと言える。 弓騎兵による遠距離攻撃に慣れていたイル・ハンの部隊は、 これが無力化されたと知ると、恐慌状態となり敗走したという。 さらに東方の帝国諸侯の中には、奪われた領国を取り戻そうとゲリラ戦を繰り広げ、 わずか400余りの寡兵を以ってイル・ハン国を苦しめる領主もいたという。 #ref(prester_05.jpg,nolink) いつ襲われるともわからないゲリラ戦の恐怖と、これまで有効であった弓騎兵戦法の無力化、 さらには遠征による疲労などが積み重なり、イル・ハン軍の兵士たちの間では厭戦気分が広がり、士気が大幅に低下していったという。 いまだ大軍を擁していようとも、肝心の兵士の士気が振るわず、 イル・ハン国は、兵力に劣る帝国軍の攻撃を前に押されていったのである。 ---- ***イルハン国の最後 [#v5dca415] 強大さを誇ったイル・ハン国もいったん崩れると立て直すことあたわず 敗退に次ぐ敗退を繰り返すほかなかった。 #ref(prester_06.jpg,nolink) そしてついに帝国に対して講和を求めるまでに落ちぶれていったのである。 (ここまで来て強気に賠償金払えとは…) #ref(prester_07.jpg,nolink) しかし数年前ならいざ知らず、いまや講和によるメリットなど皆無であったこともあり 帝国はイル・ハン国を草原の彼方へと追いやり、 カスピ海周辺をイル・ハンの再侵攻に備え、帝国直轄領としたのである。 ---- イル・ハンとの戦争もあっけなく終わったので、AARはここで完結とさせていただきたいと思います。 どう見ても中興でなく最盛期でしたが、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。 [[フランケン朝の中興/あとがき]]