*ピエール1世の時代 1104-1118 威信696 信仰500 

 
父フィリップ死後彼の嫡男サラゴサ伯ピエールが王位につくこととなった。即位したときには32歳で妻との間に4人の娘が居た。

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王位についたとき彼には父が征服した半島の新領土の開発という仕事が残されていた。この仕事を全うしフランス王国、いやカペー家の収入源としさらなる勢力拡大の力を生み出すことが彼の仕事だと理解していたのである。


隣国ドイツでは、配下の反乱が続き荒れていたがフランス王国内では特に問題なくピエールの治世が続いていた。半島においても多大な投資が実を結び収入も大幅に増加していたのである。

1113年、長年の闘病生活の甲斐も無く妻セメアが死去した。一部の家臣からは、世継ぎが生まれないことからピエール自身が毒殺したのではないかとの噂が経った。これは即座にプロバンヌ公爵の末娘と再婚したことからきた噂である。


1114年新妻との間に5女エリザベスが生誕。同年に配下であるフランダース公爵領がスウェーデン王に相続で奪われてしまった。

1115年6女アデレードが誕生。またしも女子誕生の報せに王家は皆がっかりしたという。

1117年ようやく待望の男子が誕生した。名はエウデスと言う。同年にはコンクラーペが行われ新たな法王の代理人として選出されたのである。法王の権威、いやキリストの権威を以って周りのものと付き合える立場になったのである。

死は突然やってきた。妻と城の庭で談笑をしているときに突然倒れたのである。まだ46歳であり、相続予定のエウデスはまだ2歳という若さであった。
死は突然やってきた。妻と城の庭で談笑をしているときに突然倒れたのである。まだ46歳であり、相続予定のエウデスはまだ1歳という若さであった。

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