[[ルーシ年代記]] *キエフ公スヴャトポルクの治世 [#o79be759] イズヤスラフ様の没後にキエフ公爵を継いだスヴャトポルク様は先代の晩年の本 拠ガリーチではなくご自身の本拠テレボウリに政府を置かれた。閣下はガリーチの イズヤスラフ様の書斎で二通の封書を発見された。ひとつは王位に登る為に積み 上げるべき事を書き連ねてあるらしい物で此方の方は重臣方と前書記官長でありま す私(61)の居並ぶなかで公にされた。二つ目は極秘とされ、代々のキエフ公に伝 えられる置文のようだった。 そんな事があった後、閣下は先代が晩年手をつけていたリトアニア地方の征服を 本格化しはじめる。当時リトアニアはリトアニア族がほぼ全土を覆いつくしていた。 ・1099年当時の周囲の情勢 &ref(1099-1.bmp,nolink); 東部--ビサンティンがアナトリア・バルカン・ルーシをほぼ纏めている 北方はカレリア部族連合,中央アジアはセルジュークやクマンやカラハン リトアニアはリトアニア族,ハンガリーやキエフはベネチェーグ族をほぼ征服 ペルシアはセルジュークが押さえ,カフカスには独立勢力がいる シリアはダマスカス・アルムラービド・エジプトの争い エジプトやヌビアは健在,キレナイカには独立勢力がいる 西部--ノルウェーがポーランドに呑み込まれる スウェーデン・デンマークは安定している ドイツは王家が交代。フランケン家はイタリア王となる ボヘミアは安定している。ロートリンゲン公が独立している 教皇領動きなし。アプーリア公がイングランドに臣従 シチリアはアルムラービドの傘下,ベニヒラルはやや後退 ズィール・ハンマード・ゼナタはほぼ動きなし アルムラービドはモロッコのほかイベリアをも傘下に カスティーリャ>アラゴン=ナヴァラ アキテーヌ公が独立し,フランスは傘下のプロビが半減 アイスランドはポーランド傘下,スコットランドがアイルランドを傘下に イングランドは安定している 閣下はその活動期間のほとんどをリトアニア征服に費やしたが半分まで獲得した ところで病に倒れた。閣下には男子は公爵になられる前に没した方が一人居られる だけであった 閣下は兄キエフ伯ヤロポルクの子であるグリゴリィ殿をお召しになられた グリゴリィ殿を後継者に定められた瞬間だった 1110年春,閣下は死去された スヴャトポルク・ルリコヴィチ 威信1028 信仰244 スヴャトポルク・ルリコヴィチ1050-1110 威信1028 信仰244 一族 妻エフィミア1050-1080 娘エカテリーナ1069-1137 リューベチ伯 幼児1070-1072 幼児1071-1071 娘ドブロネガ1072-1144 公子ログヴォロド1073-1095 娘ペレヤスラヴァ1074-1120 幼児1077-1082 妻アガテ・コムネノス1071-1125 娘フェオドシア1108-1179 私(72)も二年前に公職を退き,いまイェルサレムへ巡礼の旅に出る 元書記官長(72)の記録を役所の書庫で発見した私(26)は記録係の書記心得 元書記官長のあとを引継ぎ年代記をつける