[[ルーシ年代記]]
*キエフ公グリゴリィの治世 [#c3e77c32]
グリゴリィ閣下の父であるキエフ伯ヤロポルク様はキエフ公イズヤスラフ様の
次男である。先代スヴャトポルク閣下の兄にあたられる。スヴャトポルク閣下には
1107年当時嗣子がなく,ヤロポルク様は推定後継者に擬せられていた。
しかしその翌年ヤロポルク様が急死され,またスヴャトポルク閣下も1110年の春,
身罷られた。閣下の跡を継がれたのはヤロポルク様の死後キエフ伯を継承された
グリゴリィ閣下である。キエフ公爵家とキエフ伯爵家が統合され,政府は先代の本拠
テレボウリからキエフへと遷された。
周辺の情勢はというと・・・
リトアニア征服--着手から30年が経とうとしている。地域の半分を傘下に
ベネチェーグ族対策--比較的順調
ビサンティン帝国--1102年ルリコヴィチ家のウラディミール殿が皇帝に即位
陛下はスヴャトポルク閣下の従弟にあたる
国内は安定している
ポーランド--ノルウェーや北ドイツを傘下におさめつつ中欧一の王国となるか
ハンガリー--ポーランドに圧迫されつつある
1111年閣下の奥方フェオドシア様が急死された
閣下は数ヵ月後に家令のアガテ・コムネノス殿と結婚された
(イズヤスラフ様の四番目の妻でスヴャトポルク様の二番目の妻であられたお方)
1112年元書記官長(74)がイェルサレム滞在中に病死された
閣下の治世中是といった動きは無くただリトアニア征服の準備に追われた数年の後
閣下は死去された
グリゴリィ・ルリコヴィチ1069-1117 威信505 信仰149
一族
妻フェオドシア1068-1111
幼児1087-1088
妻アガテ・コムネノス1071-1125