新たなマイセン公の能力はいたって平凡であった。逸話もこれといって残っておらず、兄の急死と後継者の不在がなければ、歴史に名を残すことはなかったであろう。
公爵夫人は夫と同い年の44歳。もはや出産は望めなかった。
今のヴァイマール家に直系の世継ぎはなく、万が一にも現在のマイセン公が急逝した際には、血筋はそこで絶えてしまう。
国の行く末を案じる廷臣達は、ことあるごとに公爵のいないところで密議を重ねた。
翌年、公爵夫人は急死した。その理由について、年代記には病死とだけ記されている。しかし、巷では毒殺されたのではないかという噂がまことしやかに囁かれた。
その噂は、マイセン公が廷臣達の強い勧めにより、夫人の喪も明けないうちにポーランド王国の宮廷から若い才女を娶ったことで、さらに真実味を帯びた。
様々な思惑が交錯する中、翌年、長男エーベルハルトが誕生した。
1165年、将来を嘱望された長男エーベルハルトはわずか1歳でこの世を去った。
巷では先の公爵夫人の呪いだという噂が立ったが、それ以上に公国の将来が闇に閉ざされた失望感が大きかった。
同年、次男フォルクマール誕生。彼には嫌が上でも領内からの期待が集まった。
翌年、長女アデラユダ誕生。
特に秀でたところのないマイセン公であったが、毎年確実に子供をもうけたことで、子種が健在であることだけは証明することが出来た。
2年後、マイセン公国の危機を幾度も救ってきた勇将ベドリッヒ将軍が死去。享年60歳。彼は教会により聖者の列に加えられた。
マイセン公国の将軍職は、その子オジールに引き継がれた。
翌年、公国の重鎮で公爵の叔父ボケック卿が死去。享年75歳。
この頃から、マイセン公国の宮廷は急速に人材が枯渇しつつあった。長寿公オルドゥルフが遺した綺羅星のごとき子供達は、皆天寿を迎えようとしていた。
大貴族であったマンスフィールト家も、数年前に最長老が世を去って以来、その力を失っていた。
1175年、世継ぎのフォルクマールが急な病に倒れると、宮廷は騒然となった。命に別状はなかったものの、医師によればこの病は不治とのことであった。
5年後、公国の重鎮にして公爵の叔父エーベルハルト卿が死去。享年71歳。
かくして、長寿公、またの名を多産公オルドゥルフの残した子供達は全員この世を去った。
1181年、マイセン公国に未曾有の危機が訪れた。かつての仇敵、上ロレイン公国とヴェネツィア共和国が手を結んで宣戦を布告してきたのである。
このとき迎撃の指揮を取ったのはオジール将軍。故ベドリッヒ将軍の嫡子ということで、人望もあつかった。
彼は父に倣い公国の全領地に動員を命じると、長躯してきた敵軍を各個撃破する戦略に出た。
しかし、ここで思わぬ誤算が生じる。動員された兵が集結を果たす前に、先行して進軍してきた上ロレイン公国軍に合流を阻まれてしまったのである。
このままではこちらが各個撃破されてしまう。ところが、1200人の敵軍に対し、200人のヴァイマール郷士隊は驚異的な活躍を見せ、これを打ち破ることに成功した。
上ロレイン公国軍は戦力を2400人まで増強したが、マイセン公国軍も合流を果たし、1400人の全軍をもってこれに対抗した。
戦場はマイセンと西の飛び地ヴァイマールの中間にあたるプラウエンの地。ここは上ロレイン公国の領地でもあった。
オジール将軍が指揮するマイセン公国軍は上ロレイン公国軍を翻弄していたが、その背後で突如現れたヴェネチア共和国軍がマイセン城を包囲した。その数、実に1万3000人。
マイセン城は2ヶ月と持ちこたえられずに陥落した。その直後、これを好機と見た西隣のチューリンゲン公国が宣戦を布告。
マイセン公国は同時に3カ国を相手に戦うことになり、戦局は絶望的になった。
マイセン城を陥としたヴェネチア共和国軍は、さらにその北の領地ラウジッツに進軍しつつあったが、ラウジッツ攻めの前に講和の使者を送ってよこした。
いわく、多額の賠償金と領地ヴァイマールの割譲を条件に兵を引くというのである。
ヴェネチア共和国が突きつけてきた講和条件を前に、マイセン公国の廷臣達は討議を重ねていた。
ヴェネチア共和国の猛威を恐れるマイセン公は、すぐにでも使者に承諾の旨を伝えそうな勢いであったが、廷臣達はこれを必死で抑えていた。
この時、皮肉にも公爵がなんの施策も浪費もしなかったおかげで、公国の国庫は潤っていた。公国の全財産を差し出せば、多額の賠償金はなんとか払えるであろう。
問題は、領地ヴァイマールの割譲であった。ヴァイマールはその名の通り、ヴァイマール家の出身地であり、先祖代々守り続けてきた土地である。ここを失うのは故郷を失うに等しい。
結局、重鎮をことごとく失い、伝統より保身に傾いたマイセン公国の廷臣達は、ヴェネチア共和国からの申し出を受け入れた。
同年、マイセン公国軍は上ロレイン公国領のプラウエン城を陥落させ、城の返還を条件に上ロレイン公国との講和を求めたが、あくまでも敗北を認めない上ロレイン公国は講和を拒否した。