プレイレポ

the unity of the Church -カトリック・ビザンツ-

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DVで新しく追加された特質、「皇帝」。
実利はほとんどないけれども、ロマンにあふれる特質ですよね!
でも…この「皇帝」、カトリックじゃないとなれないんです…。
ドイツ王ごときが名乗れて、本家ビザンツが名乗れないなんて!!
というわけでカトリック・ビザンツです。目指せ大シズマ解消。十字軍だって出来ちゃうぜ!

プレイ方針としては、50年毎の宗教分布図を貼ることがメインになると思います。
当AARの発想は「イベリア正教布教記」及び「壮麗なるローマ(EU2wiki)」から多大な影響を受けています。

Version:英語版CKDV2.1beta
Coutry:Duke of Apulia
Difficulty:Normal
Aggressiveness:Normal
MOD:The Alternative Scenario Setup Mod
目標:ビザンツ地方のカトリックへの改宗
禁止:正教徒との婚姻

コメント

The Alternative Scenario Setup Mod

プレイレポ/アルメニア国物語などで、DVIP+BOPACK-DVにも飽きて慣れてきたので、
今回は心機一転しThe Alternative Scenario Setup Modを使用します。

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・新シナリオが2個追加(エドワード懺悔王、ハロルドの即位)
・ドイツの色が違う(というか1066年ではドイツ王しか有していない)。
・セルジューク、ファーティマ朝が初期から分裂している。
・公爵位の名前が一部変更(フェラーラ公→ロマーニャ公など)
・公爵位の増加
・特性の追加(ホモセクシャル、癲癇持ち、総主教)
・ビザンティオンやベネチア等が若干貧しく、その周辺地帯及びイングランドが若干豊かに。
・キエフ・ルーシ、ノブゴルドなどの王国が追加
などの点が変更されている。

第一幕 -下準備-(1066年頃ヘイスティングス)

さて、まずどうやってカトリック・ビザンツを成立させるかである。
The Alternative Scenario Setup Modでは、「Break free」イベントが実装されており、
宗教・文化が違う、遠隔地などの条件で、いきなり封国が宣戦してくるので
ビザンティン文化(ギリシャ・グルジア・アルメニア)かつカトリック教徒という条件から選びたいが、該当者なし。

そこで、今回は南イタリアのオートヴィル家(アプリア公、ノルマン文化)を選択することにした。
ゲーム開始とともにビザンツに臣従を申込み、二回目で封臣に。

いきなり帝位継承第一位となり、脳内補完が難しいとお考えかもしれないが、
オドアケル的なことが起こってると思ってもらえれば、差支えないのではないだろうか。

01.jpg

で、帝位継承。簒奪上等である。
1067年、ノルマン朝カトリック・ビザンツ成立す。
まぁ真の戦いはこれからなのであるが。

ノルマン文化+カトリックの織りなす二重協奏曲の力は凄まじく
王位のないアルメニアやセルビア、ブルガリアで「Break Free!」との声が挙がりまくる。
仕方がないので、アルメニアはひとまず捨てブルガリア、セルビア、シチリア王を名乗る。
当面はビザンツ皇帝+3王位でやっていくつもりである。

1067.jpg

道のりは長く険しい。

第二幕 -首都改宗-(1066-1100年頃)

1100.jpg

直轄地での改宗が進む。
ドイツ王に敗れたローマ教皇が疲弊しているところをつき、ローマを強奪。ちゃっかり破門をいただいた。
教皇様は、ドイツ王だけでなくビザンツ皇帝とも叙任権闘争をされるおつもりなのであろうか。

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破門+内乱の危機を乗り越え、威信が5,000を超えたため「break free」イベントは発生しなくなった。
(教会至上制を採用していると威信に関係なく司教領は、Break Freeしません。)
アルメニアの地にはイスラムが侵入。かの地で正教からイスラムへの改宗が進むことを神に祈る。

第三幕 -十字軍-(1100-1150年頃)

カトリックになったなら十字軍を堪能しないと!
というわけでエルサレム、アレキサンドリアを攻略。
ビザンツ皇帝は、エルサレム王、エジプト王を名乗りテンプル騎士団長を兼ねることとなった。
(なおテンプル騎士団長の称号は奪えなかったので、属国化→クレーム要求を経て手に入れている。)
テンプル騎士団の称号を有しているとカトリックへの改宗率が上がるので今後に期待。

十字軍の結果、聖地一帯を直轄地として持ち、
これを重点的に改宗させていこうと思った矢先にこんなイベントが…

revolt.jpg

首都から遠すぎる?よろしい。ならば反乱だ!(TASSイベント:id1980002)

このイベントは非常に強力で、瞬く間に直轄地は火の海に。
この頃は、毎日どこかで反乱が起きているといっても過言ではない状態でした。
土地が荒廃するので、20人に満たない兵士で300人を超える暴徒どもを鎮圧する羽目になるなんてことは日常茶飯事。
これを回避するには封国にするほかないのですが、封臣は「Break Free」イベントで独立するわけで…拡張するなってこと?
仕方がないので、教会至上法+司祭領という形で維持していくことに。

1150-1.jpg
1150-2.jpg

ギリシャではだいぶ改宗が進む中、エジプトはいまだに改宗率0%。
なおこの頃、国境整理のためアルメニア王国を独立させた。
(セーブデータ弄ってビザンツとの国境を綺麗にしています。)

emp.jpg

十字軍を指導し聖地を奪還したノルマン朝3代皇帝リチャード1世は、
コンスタンティノープルからだけでなく、ローマ教会からも「聖人皇帝」として認められた。

第四幕 -地に群がり、地に増えよ-(1150-1200年頃)

この頃、帝国は十字軍で得た知識と富を以ってイスラム帝国に奪われた領土の回復を図っていたが、
ペストの蔓延による兵力の減少・経済力の低下から、拡張政策の一時撤回を余儀なくされた。
とはいえ、東西分割時の東ローマ帝国領のほとんどを回復することには成功している。

ペストが終焉を迎えると、激減した人口を補うために多産が奨励された。
神は6日目にして言われたのである。「産めよ、増やせよ。」と。

fer.jpg

多産度が上がるTASSイベント。(id20080312)
結構な頻度で発生するため、MODなしと比べて子沢山な家庭が多くなっている気がします。

ペストの影響は、隣国アルメニア王国でも深刻だったようで、
兵力が減少している最中をセルジューク朝に襲われ、滅亡寸前に。
しかもアルメニア王国はこの国難を前に、国教にムリスムを採用することで回避しようとした。
この結果、間接的にアルメニアの地をカトリックで染めようとしたビザンツの思惑は脆くも崩れ去ったのである。

 

1200.jpg

シチリア島の改宗制覇。
反乱イベントのため直接統治できないシリア・アフリカ方面の改宗は遅れ気味。

 

leo.jpg

ノルマン朝4代皇帝レオーン7世。
その卓越した軍事的才覚によって僻地の異教徒を掃討し、帝国の防衛線を再構築した。
レオーン6世に憧れ、ギリシャ文化に親しんでいたという。(オートヴィル家初のギリシャ文化)


つづく

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