ロシアのキエフ公爵でプレイし、ルーシ王からイヴァンⅣ世の版図を目標とするAAR
弐度目のプレイにして何故かプレイレポを記す
シナリオ Hastings(1066)
難易度 簡単
好戦性 弱腰
*イズヤスラフ以前のルリコヴィチ家
ノヴゴロドヤキエフにおけるルリコヴィチ家の当主は次の面々
ルリク830-879[ノヴゴロド公862-879]
オレグ?-912[キエフ公882-912]ルリクの親族
イーゴリ877-945[キエフ公913-945]ルリクの子
スヴャトスラフ942-972[キエフ公945-972]イーゴリの子
ヤロポルク961-980[キエフ公972-980]スヴャトスラフの子
ウラジーミル958-1015[キエフ公980-1015]スヴャトスラフの子
スビャトポルク980-1019[キエフ公1015-1019]ヤロポルクの子
ヤロスラフ985-1054[キエフ公1019-1054]ウラジーミルの子
この間ルリコヴィチ家は内紛でヤロポルクが敗れてウラジーミルが即位した。
他にもウラジーミルの晩年に息子ヤロスラフと対立、内戦がおこるなど波乱もあった。
ヤロスラフは息子たちを各地に配置する
イズヤスラフ
スヴャトスラフ
ヴセヴォロト
ヴラディミル
1066年の時点でルリコヴィチ家はヤロスラフの四人の子の他イズヤスラフの長子が
ノヴゴロド公としており、五つの系統に分かれたような格好を呈している。