【ウルリッヒ1世(在位1124~) ドイツ・イタリア・ブルグント・ボヘミア・シチリア・フランス・レオン・カステーニャ・アラゴン・ポルトガル・イングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランド・ポーランド・リトアニア・ハンガリー王】
直轄領:Franken、Leiningen、Ulm、Wuttemberg、Venezia、Genoa、Mainz、Palermo
ウルリッヒ1世は、イングランド継承者である息子アドルフのおかげで即位したと宮中で噂され、
教皇後見人の座を、帝国最大の諸侯サヴォア公に奪われるなど、暗雲立ち込める中で即位することとなった。
彼の統治の初めは、これらの失点を挽回するが如く、
皇帝権を教皇に認めさせるヴォルムス協約を結ぶことで始まった。
・BOPACK歴史イベント
・画像はセーブデータクラッシュ前に用意しちゃったので、レオポルド帝が写ってますorz
・ドイツ王がaiでなく教皇領が存在していれば1122~1125年の間に発生します。
・選択肢aは皇帝権拡大、威信up、王権至上制(Regal supremacy law)採用等の効果
・選択肢bは教皇権拡大、信仰up、聖俗等位制(Ecclesical balance law)採用等の効果
今回は選択肢aを選びましたが、お好みで好きな方を選べばいいと思います。
閑話休題:北方の脅威
スウェーデン=ノルウェー同君連合成立…世界征服路線(?)の前に大きな壁が。
リチャード王が71才で死去したため、彼の孫であるアドルフ・フォン・フランケンがイングランド王に即位。
しかしアドルフ幼少王は、凡庸としかいいようがなく、敵対国スコットランドやウェールズと渡り合っていけるかどうかは疑問であった。
そしてその不安は、イングランド王即位後数か月で現実のものとなる。
アドルフ王は、偉大なる祖父レオポルド帝に憧れるあまり、突如ハンマード朝へと宣戦を布告したのである。
準備もろくに整えず、ただただ気概のみで開戦したため、瞬く間にハンマード朝はイングランド軍を撃破。
ウェールズ王を退位させ、今にもイングランド王都にまで迫る勢いを見せていた。
皇帝ウルリッヒは、イングランドの宮廷に対し帝国軍のイングランド派兵を具申するも
自らの失政を認めたくないのであろうか、あるいは父帝に対し意固地になっているのであろうか、アドルフは頑なに拒否を続けていた。
ウルリッヒは、最早これはイングランドのみの問題ではないと考え始めていた。
イングランドが陥落すれば、帝国はフランス沿岸部にも防衛線を張らねばならず、対イスラム戦がより困難なものとなるのは明白であったからである。
ここに至り、ウルリッヒはついに非常の手段に出ることにしたのである。
マインツの宮殿にてイングランド王即位式を行ったウルリッヒ帝の目には、一人息子を亡くした悲しみからか涙が浮かんでいたと伝えられている。
(一発で成功…親族殺しが付くことを期待していたのに…)
しかし泣いてばかりもいられなかった。イングランド軍はすでに壊滅しており、イングランド諸侯は疲労困憊。
帝国主力軍を、イングランド・イスパニア・アフリカへと送る指示を早々と出す必要があった。
このウルリッヒの即断は、戦線の伸びきっていたハンマード朝に対し有効すぎる戦火をあげ、
イングランド・イスパニアからハンマード朝を叩き出し、アフリカに橋頭堡を築くことにまで成功する。
対ハンマード朝の勝利を神に感謝し、ウルリッヒはウェールズ王であると宣言した。
ウルリッヒ帝の統治も軌道に乗り始めた頃、ビザンツなど東方諸国からの巡礼者たちが聖骸布の存在を報告してきた。
・BOPACK歴史イベント(聖骸布や聖杯イベントは年代によっていくつかのパターンがあります。)
・迷わず選択肢cを選ぶと下のようになります。
・選択肢aを選ぶと、信仰心upに加え健康が+1されるなどのプチ奇跡が起きます。
・本当はイベント文つきの画像をキャプチャしてたのですが、誤って消してしまいました。orz
・BOPACK歴史イベント
・1130年から1146年の間で、ドイツ・フランス・イタリアいずれかのカトリックで異端や破門状態でない
・選択肢cかdを選ぶと金と引き替えに技術(宗教建築物)を得られます。
スコットランドがコンスタンティノープルを制圧したとの報告を受けると、ウルリッヒ帝は複雑な気持ちになった。
皇帝の都、ギリシャ・ローマ文化の粋を集めこの都市は、スコットランド王のような田舎者には分不相応であり、
皇帝である自らにこそ相応しいものであると考えていたのである。
スコットランド王へのクレームはイングランド王家から相続したため、開戦理由には困らなかったが、
スコットランド王は、イスパニアやコンスタンティノープルなどにも直轄地を有していたため
戦争が長引くと、教皇庁を動かし(スコットランド王は当時、教皇後見人でもあった)停戦令を出させる可能性があった。
・BOPACKイベント(id 19505付近)
・カトリック国同士で戦っていると、教皇さまが仲裁してくる。
・即停戦して、再度宣戦しちゃえばノーペナルティなんですけどね…
そこで彼はその優れた軍事の才を総動員させ、
まず部隊を海上に待機させた上で宣戦布告をし、即座にスコットランド王家直轄地すべてを攻撃したのである。
当時60万をはるかに超える大兵力を有した帝国だからこそできた大規模な戦略である。
瞬く間にすべての拠点を失ったスコットランド王は、王位の譲位ならびにコンスタンティノープル割譲に応ずるほかなかった。
スコットランドが帝国の一部となると、様子見を続けていたアイルランド諸侯は一気に帝国の庇護化に入り、
ウルリッヒ帝は、アイルランド王としても即位することになった。
古のローマ帝国さえもなしえなかったスコットランド・アイルランド制圧を受け、宮廷は喜びに沸いたという。
帝国が西方をすべて支配下に置き、コンスタンティノープルという東方の大拠点を得たことで、
ウルリッヒの野心的な瞳はついに東方を向くこととなるのである。
ポーランドがクマン族の襲来を受けているとの報告を受け、キリスト教の皇帝として加勢。
物のついでにポーランド王位を強奪。「民を守れぬ者が王を名乗るなど笑止」がウルリッヒ帝の口癖であったという。
ポーランド周辺の異教徒をも制圧し、リトアニア王を名乗ったのもこの頃の話である。
ポーランド王位を強奪した後、皇帝は傲慢な性格を露骨に示し始めた。
なんと「聖イシュトヴァーンの王冠が欲しい」というだけでハンガリーへと侵攻。
瞬く間に王冠を奪ったのである。この出来事に戦慄したクロアチア王国はビザンツ帝国との絆を新たにしたという。
もうちょっとだけ続くんじゃ。