ナコニド家(リューベック)

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主の1066年。この年、王スヴェンは娘をヴェンド人に与えた

主の1093年。この年、王エルンストは艦隊を率いてバルト海を渡った

主の1136年。この年、王エーリクは海岸でトルコ人の大軍を迎え撃った

主の1159年。この年、王子ハルザクヌートはデーン人の王となった

主の1190年。この年、教皇アンリは十字軍への参加を諸王に命じた(前編)

主の1190年。この年、教皇アンリは十字軍への参加を諸王に命じた(後編)

主の1215年。この年、王ベルトルドがアイスランドから来た

主の1228年。この年、王ベルトルドはスケグネスの浜辺で大敗を喫した

主の1249年。この年、王エンゲルブレヒトの妃ウテが死んだ

1291。王ロベールは軍勢を率いてシリア地方へ進撃した

主の1321年。空に大いなる凶兆が現れた

主の1343年。私生児サイモンは亡き兄の妃エルフトリトを娶った

主の1375年。王ジョフリーはすべての戦場でノルドの軍勢を打ち破った

主の1422年。王アイユーブは弟の結婚を認め、これを祝福した(終章)


はじめに

ハンザ同盟プレイをやろうと思ったのですが、
1066シナリオだとヴェンド組・リヴォニア組ハンザ都市のほとんどがまだ出来てない!
「じゃあとりあえずリューベックで」ということで、
リューベック伯のナコニド家を選択しました。

バルト海・北海方面に高度な商業系技術のネットワークを張り巡らせ、
一方で都市や商人に大甘な封建領主を演じることで、
ドイツ・ハンザの勃興と発展を表現できたらいいなと思っています。

開始時点でひとつだけチートを行いました。
難易度をnormalに変更し、デンマーク王家からイングリッド王女を嫁にもらったのち、
難易度をvery hardに戻したのがそれです。
この代償としてプレイヤールールを次のように設定しました。

プレイヤールール

MOD
MODなしでいく方針でしたが105氏の顔MODに衝撃を受けたため、
testface_fem_hairs.bmp(女髪),testface_hairs.bmp(男髪),testface_misc.bmp(男服)
の3ファイルを第8回から導入する予定です。
(CKのブサ顔は結構好きなのでそのままにしておこうかなと)

test.jpg
左が元画像、右がtestface_fem_hairs.bmpのみ入れた画像
今のところ違和感なし
本来意図されたような使用法ではないので作者さんに済まない気もするが……
追記)やはり首の太く見える個体がまれに出現するようだ。フルセットで導入するのがまず安心です

ナコニド家について

http://en.wikipedia.org/wiki/Nakonid
ナコニド家は960年頃から1129年までエルベ流域における有力なスラブ人貴族であった。
アボドリト部族に起源を持ち、この地域にスラブ人王権を形成するための努力を重ねたが、
12世紀初めに男系が断絶した。
本拠地はメクレンブルク城であった。(中略)
始祖ナコは955年のレクニッツの戦いに敗北したのち、キリスト教に改宗した。(以下略)

ブディヴォイ・ナコニド

budivoj.jpg

http://en.wikipedia.org/wiki/Budivoj
アボドリト(オボドリト)部族の王ブディヴォイ、またはブスエ、ブトゥエは
ゴットシャルクの長子(ただし愛妾の子)である。
ブディヴォイは父の死(1066年)によって失われた権力と地位を回復するため、
異教徒クルト(メクレンブルクのクルトイ)を敵としてザクセン候と同盟した。

1075年、ブディヴォイはPluneでクルトの罠にかかり、死んだ。
ヘルモルドによるとプリビスラフはおそらく彼の息子である。
その歓待心と信仰心によって、ブディヴォイは同時代人と後世の記録者の双方から賞賛されている。
最終的に、ブディヴォイの弟であるヘンリー(ヘンリク・ナコニド)がゴットシャルクの仇を討ち、
部族の領地を相続した。

パラドフォーラムで見つけた関連AAR
Lübeck: Against the tide(1066-1104)作者多忙のため中断
Knud Knýtling, Prince of Denmark (and other assorted tales)(1066-)変なAAR。画像が多い

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