ルーシ年代記

リトアニア王パヴェルの治世

 フェドール陛下の唯一の公子であるヴセヴォロト様のただ一人の公子として生まれた
パヴェル陛下は即位前は父親の称号と領地をついで〇〇伯爵ルリコヴィチ家の二代目と
なった。[〇〇伯爵については記録が書庫の増改築の際に散逸してしまったらしい]

 1119年 〇〇伯爵を継ぐ
 1126年 リトアニア国王の推定相続人となる
 1127年 リトアニア王太孫となる。[〇〇伯爵はそのまま]
 1133年 フェドール陛下崩御
 同年  パヴェル様がリトアニア国王に即位
 1135年 リトアニア国王の戴冠式を挙行

 陛下が即位してから数年間,対内的・対外的いずれに対しても動きらしい動きはとくに
なかった。陛下はビサンティン帝国に対して極力対峙する事の無きよう注意しながら、
ビサンティンから独立したルーシの諸侯を傘下におさめるよう努めた。

 それと併行してコラ部族連合を傘下に置くべく主力部隊の準備に入る。
 当時コラ部族連合の首魁であるコラ大族長の本拠は遠くスィーリにあった。部族連合を
服属せしめる為にはコラ大族長の拠点を占領しない事にははじまらない。陛下は諸将に檄
を飛ばしまずフィン地方を押さえるべく駒をすすめる。

 ほぼ平押しのみでスィーリに辿り着いたときには数年が経過していた。

 1140年 第67代ビサンティン皇帝ユリィ=ルリコヴィチ陛下だ崩御された
     皇子のヴィアチェスラフ殿下が直ちに即位された

 1144年 コラ部族連合を傘下に

 国王「直轄地にしてもよいのだが評判やら効率やらであとで手当てが必要になる」
 書記官長「はぁ・・・」
 国王「ゆえに今はコラ族や傘下の部族をそのままつかって当地をおさめよ」
 書記官長「ははっ御意のままに」

 1145年 周辺の情勢


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