#ref(): File not found: "02RheinfeldenLeopld.PNG" at page "プレイレポ/Rheinfelden家伝/四代目-Leopold"
三代目Rudophの子は例の私生児。まだ成人してないのでここでは顔無しで。
あとまだ一回も紹介していない人いましたね。
Baldwinの三男George
(3,9,4,0)、無能です。継承順でも三位だったし…
人材供給のための種馬にする予定。
でも顔はBaldwinに似ていいですね。Leopoldはなんか悪人面w
Eustace-Anselmの家系図は、というか封臣した傍系は全て当主以外省略していきます。
紙のほうの家系図がそうしてるってのもありますけど
いづれにせよきりがなくなるので…
あと女も無視です。
先代Rudophのもと、Nordgau、Breisgau、Andernachを直轄領とした。
封臣はFurstenberg伯(Anselm)、Baden伯、Schwyz伯、Chur教、Schwaben伯、St.Gallen伯の6伯
破門されてたときにとったMainz伯,Pfalz伯へのクレームがある。
前回話にあったようにBohemia公は独立。
Karnten公、下Lorraine公はお取りつぶし。
これらの跡地はGermany王直属の伯爵群となった。
現在でも旧下Lorraine公領では紛争がおこってる。
そのせいか、Germany王直轄領が以前の倍近く増えてる。
Germany王はあいかわらずHeinrich4世
France王はPhilippe1世
こいつは知らん…
現在、下Lorraine地帯に戦力集中されてる。
互いの首都が近いからだろう。
この戦争の結果はもろにこれからの戦略に影響するので
こまめに確認する(協力はしないけど。)
その他にもかなり長い期間にわたってGermany王とGenoa公との戦いが続いてる。
とはいってもまーはっきりいって無力。
というわけで、Leopoldの治世が始まるわけですけど
いかんせん上の方で生きるか死ぬかの大戦争を繰り広げられてるわけで
こっちにとっては不安でしょうがないわけで
どこかに攻めてGermany王軍がこっちにきて負けたとかも困るわけで
なるべくならGermany王に勝ってほしいわけで
蓄財にせいをだします
父がWurttemberg伯だったときに結婚は済んでいたよう。
継承者は直系のが一人
あとのはGeorgeの家系ですな。
せめて三人ぐらいはほしいなあ
することないので金たまりしだい何か建築する程度
1103年、領内で赤痢多発
はだしのゲンですね。マッカッカー。
これじゃなにも建てられんぞ
あっ
もう僕からいうことは何もありません。
早く死んでください。
唯一気がかりなのは後継問題。
精神分裂症は繁殖に-5がつくので生まれる可能性が激減
息子はFridrich一人のみ。
”「皆の者、我に続け!」イベント”(直系の男子が殺されるイベント)が起こったら
Leopoldの家系も絶えてしまう…
時系列は前後するが、ここでまとめる。
1102年、France王Philippe1世病死。享年50歳。
Louis6世が即位(名前は史実と同じに)
ここで両軍が拮抗が崩れ始める。
さらに、地中海を堂々と渡ってきたSeljuk TurksがFrance王国の下方から侵入してくる。
本来地中海の守りとなっていたGenoa公はGermany王と戦争をしていた。
このため、Seljuk Turksの侵入をとどめるものはいなかった。(脳内補完です)
1110年、France王Louis6世とGermany王Heinrich4世は講和する。
その内容は、France王領であるIle de France 、GentをGermany王に割譲という屈辱的なものであった。
同時にFrance王Louis6世は下Lorraine地域の介入からも手を引いたため、
ほどなく下Lorraineの親Franceの伯爵たちはGermany王のもと再統合される。
France王Louis6世に休む暇はなかった。
France王国内にぞくぞくとなだれこむSeljuk Turksと激しい戦いを繰り広げる。
独仏戦後
その…なんだ…Louisがんば
1111年、「敵に包囲されている!」イベントが発生
これは精神分裂症時に、一人の封臣と一人の廷臣が殺されるイベント。
死んだのはBaden伯爵と、Leopoldの娘の一人。
精神分裂症というと”銀狼”。
事件が起こると内なる人格が呼び起こされて事件を解決するってドラマ
公園にピアノ線が張ってあってそこを通ったバイク男の首が飛ぶっていう
首無しライダーが印象的だった
どう見ても関係ありません。本当にありがとうございました。
1113年、”「永遠に監禁されるのか!」イベント”発生
Leopold死亡。享年41歳
被害が広がらなくてよかったよかった。
しかしこのイベント妄想を膨らませるよな…どう死んだんだろう?
監禁されてもうこの世にはいないことになったのかな…
Leopoldの妻はSaxony公Billung家当主Magnusの娘。
誇り高そうなこのへんと廷臣らが協力しあって抹殺したということにする。
後継はFridrichこのとき17歳
みての通りかなりのイケメン。
いままでになく高貴なんですけど
彼には期待。
ああ、能力、(4,10,15,11)と能力もいいかんじです。
そして、イケメン
なんにせよひどい停滞の時期でした。
独仏戦争の状況を説明できる機会になったとすればいいんかもしれんが…
下Lorraine公Godfriedは下Lorraine公になって長かったが その統治はおおむね良好で、特に問題という問題がなかった。 ところが、1090年、Godfriedは狂気にとりつかれる。 統治能力を失ったGodfriedに代わり、廷臣たちが国を動かしていくことになる。 それにGodfriedの妻やその息子たちが反発。 宮廷では一族と廷臣たちとの血みどろの争いが繰り広げられる。 これを好機とみたFrance王Philippe1世は「下Lorraineの仲裁」と称し、 下Lorraineの親France派伯爵らの協力を得ながら、下Lorraine公領に軍を進める。 当然、Germany王Heinrich4世はそのようなことを許すはずもなく、下Lorraine公領に軍を向ける。 こうして下Lorrainを舞台に親Germany王派、親France王派が入り乱れる独仏戦争が勃発する。