8代目Aarcau伯、初代Schweiz公Ulrich [1180-1236]。 Habusburg家で初めてSchweiz公に叙任、晩年にはスイス統一に王手をかけたが、 その40年を越える治世の間に暗殺された人物は数知れず。
にわかに大病を得て危篤の床にあった父Thietmarより、祖先Brunoの書簡と叔父Ottoの書簡を譲り受け、非情な命令を受けた少年の日の事を私は決して忘れまい。父は今日のHabusburg家の繁栄は代々の当主の悪魔の所業によるものであり、それを継承する以上は自らの手も血で染めなければならぬ、と語り、その手始めとして庶兄Brchardの子*1を身篭っているGrisons伯の娘Judiceを示し、もしJudiceが息子を産めばGrisons伯の一族もろともそれを殺せ、もしJudiceが娘を産んだのならば妹として育ててよいが、Judiceは独身の叔父の誰かに嫁がせGrisons伯の外孫を得、そして息子が生まれた場合と同様とせよ、と。そして私に謝った。自分の代で片付けておくべきGrisons伯を私に託さなければならないのは甚だ不本意であるが、頼む、と。
父はほどなくして亡くなり、兄嫁Judiceは息子を生み、私は祖先の業を継ぐ事となった。Grisons伯の一族が次々と亡くなり(1回発覚1回)、継承権を得た私の甥*2Leopoldを擁しGrisons伯領へと進軍した我が軍の前にGrisons伯の一族どもは尻尾を巻いて逃げ出し、我が家の者がGrisons伯領を制圧したところで幼きLeopoldが急死し、Grisons伯領は私の手に落ちたという寸法だ。Grisons伯の一族どもはMilano公に泣きついたようだが、こちらにはドイツ王*3の後ろ盾があり、結局、彼らが私を悩ます事はなかった。そしてドイツ王は私がMilano公国より領土を奪った事を喜び、あらかじめ父とドイツ王の間で話がついていたとの事だが、王は私をSchweiz公に叙任した。こうして私は父に代わり多数の者を手にかけた代償として、父に代わり我が家門初の公爵としての名誉を受ける事となったのだ。
外孫を得ておいて一族皆殺しという手法はどんな家にでも通用しますが、 普通は男系継承者を大量に暗殺する事になるため威信と信仰と評判がひどい事になります。 今回はJudiceが年長であったためにJudiceの兄弟にまだ子はなく、 Judiceの祖父と父と兄弟2人を暗殺するだけで済みました。 また、当主であるJudiceの祖父の諜報が低めだったのもポイント。 Hohenstaufen家やWettin家は多産な上に諜報も高い家系だったため、 なかなか乗っ取りに踏み込めませんでした。
100年以上かけてようやくスイス公国成立。第一部完。
それから、私は誠心誠意をもってよき神の僕として行動しようとした。甥LeopoldとGrisons伯家の者どもにたいする贖罪もあるし、私の行動はHabsburg家の評判を左右する*4。そのような折に王の十字軍に従い海を渡り聖地を巡礼する機会を得られたのは、一世一代の幸運と言えよう。ただ、その際にパレスチナにて所領を賜ったが、私が代官に送った者があろう事か王に逆らい、王のパレスチナ総督により取り潰される事となってしまった*5。いささか不名誉な事ではあったが、遠きパレスチナの事ゆえドイツで問題となる事はなかった。
ロシアに広大な所領を持つクロアチアがByzantionを攻略し、ようやく聖地に派遣された十字軍。 青のフランスと黄土色のドイツで仲良く聖地防衛を分担。
Genev伯はいつの頃からか成立したSavoie公家の分家であり、これもいつの頃からかChur伯領の請求権も所有しており、スイス統一を志す我が家としてはとても魅力的な家であった。そのGenev伯Johanは結婚が遅く50を前にして未成年の男子が3人しかおらず、またあまりの無用心で近隣諸侯の間でも評判になるような有様であった(諜報0!)。そこで私はGenev伯と長男次男を暗殺して幼い三男に継承させ、三男が成人するまでの間に長女を我が家の者に娶らせる事で乗っ取りを狙う事とした。折りしもSavoie公が破門されておりGenev伯家は叛意を抱いていたが、未成年の者にGenev伯家を継承させる事で身動きを取れなくさせる意味もあった。
ところが、最初の暗殺までは上手くいったのだが、3年後に従兄弟のOttobonoに娶らせたWulfhildeは娘2人を残して亡くなり、その後に成人した次女Ermengaldを別の従兄弟のBrunoに娶らせるも今度はBurunoが病に倒れそのまま肺炎で亡くなった。仕方なくErmengaldをOttobonoに嫁がせるも*6、子供に恵まれずにいるうちに、今度はSavoie公の次男の成人が間近となり放置すれば、Genev伯が取り潰されて我が陰謀が破綻するためSavoie公の次男も暗殺。さらに3年がすぎてようやくErmengaldに子Rupprechtが生まれ、Genev伯(3男)とRupprechtとOttobonoとその甥2人*7を神の御許へと送り返して、Genev伯は我が手に落ちる事となった。かくて諜報長官を含めれば10人以上殺めたがために我が名声は地に落ちた。こうなるともはや自らの運命を嘆く気にもならぬ。これはもう喜劇の類であろう(合わせて発覚8回くらい。