スイス公への挑戦/4代目 謀略の人Bruno

スイス公への挑戦/6代目 篤信者Otto

WS000018.jpg

6代目Aargau伯、篤信者Otto。卓越した武勇でHabsburg家の勢力を拡大した一方、生涯を神に捧げ子を残す事はなかった。

父Gotthardの真実 [1141-1162] (5代目)

神よ、我が父Gotthardと我が曽祖父Brunoの罪を許したまえ。

私はAargau伯Otto、人々に悪魔と恐れられた5代目Aargau伯Gottohardの息子です。我が父Gotthardは曽祖父Brunoの罪と自分がこれからなすであろう悪徳の罪を償うため、私に神に仕えるように申し付けました。このような事は普通ならば我が弟達の役目、にも関わらず、長子たる私に申し付けた事は、かつては無神論者として知られた父でさえ、自らの罪の大きさに恐れをなしていた事を示すものでしょう。

曽祖父Brunoより家督を継承する以前の父Ottoは無神論者として知られていました。その父が教会の求めに応じて十字軍戦士たらんと言い出した時は、宮中のみならず領民皆が驚いたものでした。父は早速盛んに密使を送り込み中東の情勢を探っておりましたが、一通りの調査を終えると十字軍の不可を唱えるようになりました。

父が語るには、数十年前にギリシャ人の帝国を打ち破りByzantionを占拠したトルコ人の王国には、街という街には財宝がうず高く積まれ、戦士達はきらびやかな武具に身を包み、トルコ人の王に仕える諸侯は一糸乱れぬ統制を保っており、その動員能力たるや100万とも200万とも言われ、アレクサンドロス大王の再来でもなければ、たとえキリストの諸国が団結して戦いを挑んだとしても勝利は覚束ないであろう、と。

スイスの地はドイツとイタリアの中ほどにあります。イタリアからは教皇の十字軍を求めるための特使がドイツへと向かい、ドイツからはその返答の使者がイタリアへと向かいます。父は私達の城館に宿を求めるその使者達に、Byzantionへの十字軍の不可を説き、一方で教皇は聖都Jerusalemの事をお忘れになっている、と訴えました。その訴えに耳を傾ける者ありましたが、教皇の意に沿わぬ不信心者であると非難する者も多かったのです。とはいえ、父の訴えは皇帝の耳にも届いたとの事で、一時はByzantionへの十字軍にやる気を見せていたRudolf帝(3代目)が十字軍の旗を掲げる事はついにありませんでした。

後に父に聞いたところでは、トルコ人の王国はペルシャからギリシャへと広がってはいるものの、その王の威令に従わない者も少なくなく、Mosulの太守などは王の使わす役人が自領に入るのを拒んでいるほどであり、もし賢明なるRudolf帝が十字軍を行えばByzantionの奪回は間違いないだろうとの事でした。しかし、父がまた語るには、たとえByzantionを攻略する事ができたとしても遠いペルシャの地にまで攻め込む事は容易ではなく、戦いは10年20年と続き、そのうちにRudolf帝が亡くなるような事があればドイツは必ず乱れる事になるだろう、と。一方でエルサレム藩王国は小さく弱く、たやすく聖都を奪い返す事ができるというのに、Byzantionにこだわる教皇の思し召しは理解できぬと。

結局、父は現実主義者であるために十字軍に疑問を持ち、他方で根は真面目であったために十字軍の非を人々に説かざるをえなかったのでした。しかし、教皇の意に異を唱える事はこのキリストの地においては大変危険な事であります。人々は父を悪魔のようだと言いますが、ずる賢い悪魔が敢えてこのような危険を冒すでしょうか。父は私にこう語った事があります。私は生まれる時代を間違えた。神でなく合理的精神に支配された古のローマに生まれたかった、と。なるほど、その通りなのかもしれません。

WS000020.jpg

セルジューク=トルコがやや分裂気味ながらも大勢力を維持する一方、ファーティマ朝は完全に分裂し、エルサレム藩王国は孤立している。

破門されるまでの父は至って誠実な人物でした。十字軍の事も父の父なりの誠実さゆえの事でした。唯一の例外といえばSchweiz伯の事です。私の母IrmgardはSchweiz伯の長女であり、それゆえ私は生まれながらにして将来のSchweiz伯の地位を約束されていました。その母は私が幼子の頃に亡くなりましたが、時を前後してSchweiz伯の妻が長男を産むという事件がありました。40にもなろうとしていたSchweiz伯の妻が今更子をなすとは大変怪しい話であり、当時の家中でも私の母Irmgardが亡くなった事で気の変わったSchweiz伯が妾腹の子を正妻の子としてでっち上げたのだろう、とさんざんに騒がれたものと聞いております。父は家中の騒ぎとは距離を置いていましたが、ある日、私を教会に連れて行き、私が3才の時の事で今でもその事をかすかに覚えていますが、この子を神に仕えさせる事に決めたと語り、私はそのまま教会で育てられる事となりました。突然見知らぬ教会で暮らす事となった私はずいぶんと泣き喚いたものです。その私が、父が私にSchweiz伯を継承させるために母Irmgardの弟を暗殺した、との噂を聞いたのはかなり後になってからでした。思えば、これも父の優しさだったのでしょう。私は父の悪徳の噂に悩まされる事なく清浄な教会で健やかに育つ事ができたのです。

WS000015.jpg

5代目Aargau伯、破門者Gotthard。黒魔術を駆使してドイツに大空位時代をもたらした悪魔として昔話に語られる。

私Ottoの事

執筆休憩中。


トップ   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS