パレオロゴス家 マヌエル2世が語る

マヌエル2世が語る 2

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辺境の、くだらない意地の張り合いじゃないの?

1447年6月30日、ボスニア・クロアチア国境

loius_danjoupp.jpg ルイ・ダンジュー)先週、おたくの猟師組がアンジュー領で狩りをしたようだが。
bozidar_kotromanicpp.jpg ボジダル・コトロマニク)知らないね。それよりこないだの件について釈明したまえ。
loius_danjoupp.jpg 口をつつしめ、田舎王。公と同格のくせに。
bozidar_kotromanicpp.jpg ルイ・ダンジュー。君は僕を怒らせたようだ……!

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知れば知るほど、仲が悪くなる隣人っていうのがいるけど、
ボスニア王ボジダル・コトロマニクと
両シシリーおよびハンガリー王ルイ・ダンジューはまさにそういう関係だった。
僕ならそんな連中は放っておくけどね。

alexiospp.jpg アレクシオス)いかなる場合も、セルビア王は臣下と共に戦う。

ああ、やってしまった。
アレクシオスはセルビア王国のすべての貴族に召集をかけた。

わかるね。
もはや辺境の小競り合いじゃない。
アンジュー家とパレオロゴス家の戦争になってしまった。

アンジュー戦争

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bulend_ofkhopyorpp.jpg ビュレンド・コペル)我が友アレクシオスが攻撃にさらされています。
bulend_ofkhopyorpp.jpg 義兄上、なぜすぐ援軍を送らないのです。

友情万歳。
僕はしかたなく中央軍25000に召集をかけた。
皇帝はめんどくさい。



この戦争からは何も期待できない。
ルイ・ダンジューが有する称号は無数にあるが、
僕がローマ皇帝として彼に要求できる称号はひとつもない。
せめて簒奪できないかと思ったら——

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伯号の簒奪に要する威信:1800前後
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王号の簒奪に要する威信:49000
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マヌエル2世の威信 : 2633

何も期待できない!

戦線にて

gunespp.jpg ギュネス・コペル)お怪我なさってませんか。食べ物は口に合いますか。
gunespp.jpg バシレイオスはよちよち歩きができるようになりました。
gunespp.jpg バシレイオスは陛下にそっくりです。でも目元は母親似かも。basileios1.jpg
gunespp.jpg 頑張ってね。

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1447年7月、僕は中央軍を率いてセルビア・ハンガリー国境へ向かった。
皇帝のやる気のなさが伝わったのか、
兵士たちの戦意は非常に低い。

ドナウとその支流を何度渡ったことやら。
僕はもう一生ハンガリーから帰れないんじゃないかと思い始めた。


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よくない知らせだ。
アルメニア王ビュレンド・コペルがいくさの傷を悪くして死んだ。
タオ領をめぐるグルジア王イグナティオスとの戦いは
うわさ以上に厳しいものだったようだ。

ビュレンドは子を残すひまもなかった。
王位を継承したのは彼の甥バシレイオス・パレオロゴス。
そう、まだ1歳にしかならない僕の息子だ。

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もちろん現地へバシレイオスをやるわけにはいかない。
僕が摂政として後見すべきだ。それはわかってる。

でも、一瞬たりとも手を離せないんだ。
ここは前線。
戦役に出たことのある人はわかってくれると思うけど、
あんまり戦いが激しくなってくると、難しいことを考えられなくなる。

ああ、そうだ。ガブリエルがいるじゃないか。
アルメニアは彼にまかせよう!

蝕まれる帝国

冬が来て、春が来て、夏になった。
僕はまだドナウの岸辺で戦っている。

yakut_ofkhopyorpp.jpg ヤクート・コペル)イタリア派遣軍より報告。
yakut_ofkhopyorpp.jpg 要衝バリを抑え、王都サレルノへ進撃中。

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アプリア公位(威信1000)簒奪によってリーズナブルに2伯を臣従させた

yakut_ofkhopyorpp.jpg だが北伊からの援軍で敵の戦力が増している。
yakut_ofkhopyorpp.jpg 冬までバリを確保できる見込みがない。早期休戦を。



gabrielpp.jpg 宰相ガブリエル)よく聞いてくれマヌエル。
gabrielpp.jpg 帝国は叛乱によってイェルサレムを失った。
gabrielpp.jpg そしてアルメニアはもはや崩壊状態だ。

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幼王バシレイオスに対するアルメニア諸侯の反発は強かった

gabrielpp.jpg すぐに帰ってきてくれ。僕だけじゃ抑えきれない。



alexiospp.jpg アレクシオス)もう充分だ、マヌエル。
manuelpp.jpg 何をいう。皇帝は臣下を残して退却したりしない!
alexiospp.jpg いいんだ。あとは僕らにまかせろ。君は東方へ戻りたまえ。

アレクシオスは僕を説き伏せた。
僕はルイ・ダンジューと和議を結び、東部国境へ馬を走らせた。


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9ヶ月後、アレクシオスはセーケシュフェヘルバルの平原で
両シシリー王国軍主力に決戦を挑んだ。
そして見事勝利し、ルイ・ダンジューから白紙和平を勝ち取った。


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さらに1450年7月。
女王アナスタシアの死によってアレクシオスはブルガリアを相続。
ブルガリア=セルビア王として帝国西方の強力な盾となった。

アレクシオスは立派なパレオロゴスだ。
彼を心のどこかで軽んじていたことを、僕は恥ずかしく思う。

デッラ=スカラ家の名誉

僕はアルメニアを放棄せざるをえなかった。

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イグナティオス・パレオロゴスのせいだ。
彼はバシレイオスから離反した諸侯を誘って領地を拡げている。
くそっ。
ビュレンドの死も、元はといえばあいつのせいじゃないか。

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離反諸侯はあくまでアルメニア王臣だ。
僕に懲罰の権限はない。
無理に手出しをしようにも、
アンジュー戦争でバリ領を強奪したことで僕の威信は減少している。
アルメニアへ行っても何もできないってことだ。



だからパレスティナへ行った。

1449年5月、僕はパレスティナ一帯を制圧し、
ふたたびイェルサレムに入城した。

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蜂起の首謀者、イェルサレム公アンニバレ・デッラ=スカラは
パレオロゴスの家令フェリシタ・デッラ=スカラの弟だ。
モンフェラート・パレオロゴスの血統に免じて、
アンニバレにはもう一度チャンスを与えることにした。

ところがだ。
その舌の根もかわかぬ1450年の冬、
アンニバレはまたしても帝国に叛旗をひるがえした。

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ラテン貴族、ローマカトリック、遠隔地領土と三拍子そろってしまった

manuelpp.jpg もう我慢できない。妃よ、すまないがまた外征だ。
gunes2pp.jpg ……はい、陛下。お体だけは気をつけてくださいね。
gunes2pp.jpg それと、もし男の子だったらバイバルスって名付ける約束忘れないでね。



僕はギュネスの言葉なんか耳に入らないくらい激怒していた。
みずから軍を率いて海を渡り、津波のようにパレスティナを襲った。
そして1451年4月4日、イェルサレムへ三たび入城した。

manuelpp.jpg デッラ=スカラ、覚悟はできているだろうな。
annibale_dellascalapp.jpg 僕を排除できるのか? やってみろよ。
annibale_dellascalapp.jpg 姉様は帝国の金庫番だし、母様は密偵頭なんだぞ?

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「ソフィア・ダルマニャック、4人の皇帝にお仕えしてまいりました」

ところが、母親のダルマニャックは僕以上に激怒していた。
アンニバレはこっぴどく叱られたあとで、
ひそかにジェノバ共和国へ逃がしてもらったとかなんとか。

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別れ

帝都へもどる途中、空の色がおかしかった。
僕は不吉な予感におそわれて船着き場の階段を駆け上がり、
ブラケルナエ宮殿へ急いだ。

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ギュネスはもういなかった。

ついさっき、緋色の間で5回目の出産に臨み、
そして亡くなったのだとガブリエルとフェリシタから聞いた。

gabrielpp.jpg マヌエル、しっかりしろ。
gabrielpp.jpg 君は皇帝だぞ。帝国がその肩にかかってるんだ。



帝国なんか、いらない。
ギュネスを僕に返してくれ。

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1451年8月 皇妃ギュネス・コペル死亡



終章 マヌエル2世が語る 3

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