パレオロゴス家 テオドロス3世が語る

コンスタンティノス11世が語る

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コンスタンティノス11世
イサキオス4世とボズジン・コペルの子

1426年春、僕はヴァシレフスとして民衆の歓呼を受けた。
色々とややこしい経緯があったけど、大したことじゃない。
僕は僕の統治をする。


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1426年の帝国と有力貴族
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首都周辺にマケドニア公アンティオキテス、ニケーア公コペル
テサロニケ専制公、エピロス専制公のパレオロゴス2家
セルビアにボスニア王コトロマニク、黒海にリューリコヴィチ家

まず、僕は優秀な宰相を必要としている。

なにしろこの帝国にはギリシア人、ブルガール人、スラブ人、
ルーシ人、トルコ人、タタール人の貴族がひしめきあっている。
とくに気をつかうのは以下の二人の大公だ。

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ニケーアの獅子 ダニシュメンド・コペル
盛んに子弟を帝都留学させ、皇帝家と深いつながりを維持

ダニシュメンドは父様の親友だったのもあって、
いまのところ僕にはよくしてくれる。

でもコペル家がアナトリアに有する強力な遊牧民戦力と、
宮廷における勢力にはつねに注意しないといけない。

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コペル家は宮廷人事、婚姻、地方領土のすべてに渡って
強い影響を保持し続けている
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パフラゴニア公グリゴリイ・リューリコヴィチ
黒海交易の支配者。亡命ルーシ貴族

グリゴリイはほとんど帝都に出てこない。
2つの公位と黒海沿岸の6領を持っているので、
皇帝選挙ではパレオロゴス諸家をおさえて第一継承者になる。
あまり喜べるような話じゃない。

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ミルカ・バサラブ ワラキア公女

そこで僕はセルビア時代に知り合ったミルカを帝都へ呼んだ。

ミルカは相当切れる子だ。
彼女が帝国宰相として着任した直後、
諸侯たちは馴らされた犬のように沈黙した。

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ダヴィド・パレオロゴス 狂えるバルトロメオスとオズギュル・コペルの子

ミルカを娶らせるため、総主教府からダヴィドを呼び戻した。
遠縁ながらダヴィドは優秀なパレオロゴスだ。
坊さんの相手をさせておくのはもったいない。

1426年秋、帝国軍は西部アナトリアへ侵攻した。
この地域にはトゥグリル朝から離反した土侯がひしめいている。
僕はあっさり彼らを轢き潰し、
ダヴィド・パレオロゴスをトラケシア専制公に任じた。

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トラケシア専制公領成立
6領保有により再びパレオロゴス家に第一継承権

davidpp.jpg コンスタンティノス、これはいったい?
konstantinospp.jpg 次の皇帝は君ってことさ。アナトリアの押えは任せたよ。

タタール戦役

1426年の待降節も終わるころ、僕は帝国総動員をかけた。
標的はかのタタール人の帝国、トゥグリル朝。

トゥグリル朝は代替わりに失敗したらしい。
ペルシア、ルーシ、ポーランド、北ドイツでは叛乱が頻発。
かつての超帝国がいまや襤褸布のようだ。

この機に乗じ、東部アナトリアを奪還する。

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タタール戦役:1427年5月11日の戦線

ロマニア軍は黒海をわたって南カフカスへ。

トルコ人諸侯連合軍はアナトリアの残敵掃討にあたる。

主力である皇帝軍はアダナ上陸作戦を敢行し、
旧都タブリーズめざして進撃する。

中部アナトリアとカフカス南麓で強固な抵抗に遭遇したが、
5月には戦線はメソポタミア上流域に到達していた。


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皇妃ヨアンナ・アセン アカイア公女

夏、皇子誕生の知らせがあった。
戦陣にある僕はもう一年近くヨアンナと同衾していないのに。
考えたくない。

これとは別にヨアンナの不貞の報告を2回も受け取っている。
何も考えたくない。

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皇妃ヨアンナとの決定的な対立が起きるも
帝国年収に匹敵する2500万ドラクマを費やして表面上和解
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1429年の四旬節。
ついに帝国軍はカスピ海西岸を確保した。
そこで敵から和平の申し入れがあった。

会見は古都タブリーズで行われた。

トゥグリル朝の宰相は見るも哀れなやつれようだった。
毎週どこかの宮廷へ和平の申し入れをしているそうだ。
彼らの帝国はもう長くはないんじゃないかと思う。

ともあれ、戦役は終わった。

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ローマ皇帝であり、セルビア、グルジア、アルメニアの王である
コンスタンティノス・パレオロゴスの前に拝跪せよ。

勝利の代償

davidpp.jpg アレクシオス・アンティオキテス。御前へ。
alexios_antiochitespp2.jpg ここに。
konstantinospp.jpg よく戦った。卿が切り取ったアルメニアは卿のものだ。
alexios_antiochitespp2.jpg ありがたき幸せ。
davidpp.jpg ルイ・リュクサンブール。御前へ。



その年の復活大祭、僕は占領地を貴族たちへ分配した。

やったことのある人はわかると思うけど、
パズルのように込み入った作業でほんとに疲れる。
ダヴィドとミルカは根をつめて働いてくれた。

よく戦いながら一片の土地も与えられなかったコペル家と
リューリコヴィチ家の勢力は相対的に縮小した。
すべて順調だった。

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1429年7月。
ミルカが死んだ。
身籠っていた体に宰相の激務がこたえたんだ。

ミルカと赤ん坊のために
盛大な葬儀が聖ソフィア聖堂でおこなわれた。
その間ダヴィドは僕に対して無言だった。

僕はずっとうつむいていた。
葬儀が終わると、追われるようにしてブラケルナエ宮殿へ帰った。

分割統治

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ミルカの死により広大な帝国を維持できなくなった。
諸侯の数が多すぎる。
帝国を分割して統治する必要がある。

僕は帝国中を回って、これはという人間を探した。

本当に悩んだ。
どういうわけか、パレオロゴス家の男子は
だんだん少なくなってきていたんだ。

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テオドロス・パレオロゴス イサキオス4世庶子

多くのラテン諸侯と隣接するセルビア王には
腹違いの弟テオドロスを選んだ。
テオドロスは温厚で考え深い人間だ。

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イグナティオス・パレオロゴス
テオドロス3世庶子シメオンとオズギュル・コペルの子

グルジア王には従兄弟のイグナティオスを選んだ。
彼なら荒っぽい山の民をうまく治めてくれるだろう。

敵意

1432年。
僕とダヴィドの仲は冷えきっていた。

庶子筋のパレオロゴスに2つも王位を与えたことが
僕らの言い合いの種になってはいた。
でも、それだけじゃないってことは解ってた。

敵意は伝染する。
いつしか帝都周辺の3大公すべてが僕を憎んでいた。

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1432年、コンスタンティノス帝と敵対する人物
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左:ニケーア公ダニシュメンド・コペル
中:トラケシア専制公ダヴィド・パレオロゴス
右:マケドニア公デメトリオス・アンティオキテス

中でもダニシュメンド・コペルは
皇帝に対する叛意を隠そうともしなくなった。

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どんどん敵が増えていく。
錯綜した人間関係の落とし穴にはまったような、
そんな感覚が僕の中にあった。

konstantinospp.jpg なにか。僕はいそがしい。
sofia_darmagnacpp.jpg コリント伯ニケフォロス、およびアルメニアコン公イサキオスに
sofia_darmagnacpp.jpg 叛逆の意志ありという報告が入りました。

ニケフォロスとイサキオス。
2人は僕の友人だったんだ。

ああ。この感じ、覚えがある。
父様からもテオドロス大叔父からも、さんざん話に聞いてきたこの感じ。



僕の帝国に、内乱の危機が訪れようとしている。



コンスタンティノス11世が語る2

パレオロゴス家


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