エルシドの東奔西走により、カステラ王国は領土を順調に拡大した。
カステラ王アルフォンソが、元帥エルシドの助けを借りて順調に勢力を拡大している間、
ドウロ河とエブロ河から南のムスリムたちの諸王国にもまた統一の機運が生まれていた。
アルフォンソはエルシドをこのムーア人の国に派遣した。
エルシド「偉大なスルタンよ。所用があって参った。」
同盟申請の使いだった。
スルタンはカステラ王国と同盟すればイベリア半島の半分が手に入ると説かれ、これを了承した。
エルシドは同時に、もしもスルタンが南部イベリアで戦争を起こすつもりならば、カステラ王国はこれを支援する用意があるとも言った。
スルタンはごくりと生唾を呑んだ。
1083年のイベリア。セビリア首長国が軍事行動を起こした。濃い緑と薄い緑がセビリア首長国の領土。オレンジがイスラム諸侯。青と無地がキリスト教徒たち。
エルシドがセビリアから帰還すると、アルフォンソは彼に軍勢を率いて東へ行くようにと伝えた。
アルフォンソは、南部でイスラム諸侯が争っている間に、エブロ河以北のムスリムたちに対してレコンキスタをしようと考えていたのだった。
まことに、カステラ王アルフォンソは、智謀に優れた王だった。
エブロ河に臨むエルシド。
中央下に流れるのがエブロ河。エルシドは、その北にあるムスリム諸侯(丸い紋章)を攻撃している。
レコンキスタが再開された。
エルシドは2300の軍勢を率いてムスリム諸侯を攻撃し、例によって野戦での無敵の強さを発揮してこれを打ち破った。
エルシドはこれまで数多くの戦場に参加したが、一度も野戦で負けたことがなかった。ここでも勝利した。
ムスリム諸侯は追い散らされ、エブロ河を渡って逃げ去るか、地中海のマジョルカ島に逃れた。
勝利、勝利、勝利。エルシドはムスリム諸侯の城を占領し、入城した。
常勝将軍エルシドの名声は不朽のものとなった。
エルシドの名声が上がっていくに従い、カステラ王アルフォンソの胸には何か黒い靄がかかり、濃くなっていくようであった。
アルフォンソの周りにはエルシドの活躍を妬む廷臣たちが多数おり、彼らはエルシドの行為や言葉をうがって解釈し、
まるでエルシドがアルフォンソの権威に挑戦しようとしているかのように描き出した。
アルフォンソははじめは笑ってそれに取り合わなかったが、やはり、不安は拭えなかった。
「エルシドは旧主サンチョ・ヒメネスにいまだ忠誠を誓い、アルフォンソ様に反旗を翻そうとしているのかもしれません。」
そう言われると、アルフォンソはかつて一度エルシドを追放したことがあるだけに、*1
疑心が暗鬼を生ずるのをどうしてもおさえることができなかった。
エルシドは確かに疲れを知らず勇敢な将軍だ。
あの軍事21に対抗できる将軍は、ムスリムはもとより、キリスト教諸侯の間にも存在しない。
だが、そんな彼が、もし、万一、叛乱を起こしたら? いったい誰が彼に対抗できるというのだろうか。
しかしあの名声高い将軍を無闇に追放したり、処刑することはできない。
では、どうすればいい?
どうやってエルシドを亡き者にすればいい?
智謀に優れたカステラ王アルフォンソは考えた。
アルドンザ・ヒメネス。カステラ王アルフォンソの一人娘。
アルフォンソは娘のアルドンザを呼び、こう伝えた。
「アルドンザ、可愛い可愛い我が娘よ。君にぴったりの婿がいる。」
「お父様、それは誰でしょう。」
「エルシドさ。きみは、あのロドリコ・デ・ヴィヴァラに嫁ぐんだ。」
アルドンザは頬を紅潮させて承諾した。
あの全イスパニアの英雄、エルシドの妻になれるなんて!
そこらの一山いくらの伯爵に嫁ぐよりも、なんて素敵なことでしょう!
だが、アルフォンソには別の考えがあったのだった。
1088年、エルシドとアルドンザは婚姻の式をあげた。
エルシドはアルドンザとの婚姻が成ったとき、幸福の絶頂にあった。
数々の武勲をあげて同胞たちからは讃えられ、部下からは慕われ、そしていまこうして王女と結婚することによって主君の寵愛も受けた。
「わが人生ほど充実し、幸福で、神の恩寵をうけたものはあるまい。」
エルシドはそう思った。
その頃、カステラ王国と近隣の諸侯との間で騎士のトーナメント大会が行われることになった。
当然、カステラ王国からはエルシド元帥が出馬することになった。
近隣の諸侯たちは恐れ慄いた。「雷神」エルシド元帥にかなう騎士など、このイベリアに、いやこのヨーロッパには存在しない。
だが、ナヴァラ王国やアラゴン王国の国王たちが国賓としてカステラ王国に迎えられ、アルフォンソ王の歓待を受け、彼と密談することになって、話の風向きが変わってきた。
アルフォンソはナヴァラ王やアラゴン王たちにこう打ち明けた。
「皆様知ってのとおり、私には男子がいません。*2
そして、一人娘だったアルドンザは先日、ロドリゴ・デ・ヴィヴァラ元帥に嫁いでいきました。
私はただこの一人娘を祝福したいと思っていましたが、ある日、よからぬ噂を耳にしました。
かのロドリゴ元帥が、このカステラ王国の簒奪を狙っているという噂です。」
アルフォンソは声を低くして、さも重大そうな様子で、話を続けた。
「なるほど、私たちの王国は準サリカ長子相続制度をとっているため、女系の男子に継承権が発生します。
ロドリゴ元帥とアルドンザの間に男子が生まれれば、その子がカステラ王とレオン王を継承するという次第です。
はじめ私はそれでもいいと思った。雷神エルシドと可愛い一人娘の子だ。二つの王位を継ぐに相応しい。
しかし、ロドリゴ元帥の方はどうだろうか? 噂によれば、彼は増長し、慢心し、息子が王位を継いだ暁には、太父として、このカステラ王国とレオン王国を牛耳ってやると嘯いているというのです。」
「それだけではありません。」アルフォンソは話を続ける。
「ロドリゴ元帥はカステラとレオンだけでなく、皆様方の、つまりナヴァラとアラゴンの王位も狙っているというのです。
想像してみてください。軍事21の軍神がわがカステラ王国の30000の騎士たちを従えてナヴァラとアラゴンの国境を越え、我らヒメネスの血族を皆殺しにする情景を。
はたして、カステラ、レオン、ナヴァラ、アラゴンの国々に、彼に匹敵する武勇の持ち主はいるでしょうか? いや、いません。*3
この最悪の事態をふせぐために、今こそ、ヒメネスの姓を共に有する我々は、一致団結して、あの野心溢れる元帥を除くべきではないでしょうか。」
アルフォンソはエルシドをイスパニアの諸王位の継承問題にコミットさせることによって、諸王の合意のもと、エルシドを葬り去ろうとしていた。
しかし、どうやって?
アルフォンソは言う。
「我が娘にもこのことを言い含めました。
あれは賢い子なので、すぐに事態を呑みこみました。
アルドンザと、彼女の侍女たちは今、ロドリゴ元帥の宮廷にいます。
そして彼の食事に、少量の毒薬を混ぜて彼が衰弱死するように図っているのです。」
「しかし、ロドリゴ元帥はタフな男です。
毒を食べても、ちょっとやそっとでは死ぬ様子を見せない。
そこで、今度の騎士トーナメント大会を利用したい。
あの大会には、わが王国からはロドリゴ元帥が出馬します。
大会は、彼を合法的に傷つける絶好の機会なのです。」
しかし!--諸侯はどよめいた。
相手はあのエルシドですぞ。
常勝、不敗の、疲れを知らぬ、武勇優れるあの将軍ですぞ。
いくら毒で弱っているとはいえ、あの雷神に勝てる騎士など、このイスパニアには存在しない。
いや、このカトリック世界にすら存在しないでしょう。
「もちろん、抜かりはありません。
ロドリゴ元帥の武器は、こちらで用意するのです。
穂先はなまくら、柄はすぐ折れる樫の木で槍をつくります。
盾は、槍の一突きにも耐えられないつくりにするつもりです。
いざ決闘となったとき、馬上と馬上で交差する瞬間、ロドリゴ元帥の槍はくだけ、盾はもろくも崩れる仕様にします。
ロドリゴは決闘で負け、身体にも名誉にも傷を負い、無念のうちに死ぬのです。
それが、彼の傲慢に対する神の報いなのです。」
諸侯はこれに同意した。
エルシドの命運はすでに尽きていた。
月日がたち、大会はせまった。
エルシドは毒を盛られ、日々体調は悪化していた。
大会の日、エルシドは華美に装飾された、だがなまくらの槍と盾をもたされ、決闘の場に赴いた。
エルシドは寡黙な男だった。幾多の戦場に赴いたときと同様、泣き言を言わず、黙って決闘の場に赴いた。
主君が主催する騎士の大会。「敵方の騎士の勝利!」
エルシドは「重症」*4を負った。
彼は床に伏し、起き上がれなくなった。
そうして半年が過ぎ、エルシドはついに死んだ。
エルシド、死去。
エルシドの武勲は宮廷の内外に轟いでいた。
宮廷の廷臣も、エルシドの部下も、王国の領民たちも、誰も彼もがエルシドの死を悼んだ。
アルフォンソ王ですら、エルシドのこれまでの貢献を思うと、胸になにか悲しい気持ちが湧き上がってくるのを抑えることはできなかった。
寡兵をもってモリナ太守を討ち、
武威をもって知られたカラタウド太守を戦死させ、
堅牢な城に籠るポルト公を降伏させ、
サラゴーサとレリダのムーア人たちをエルベ河の岸辺に追いやった、
あのエルシド。雷神。疲れを知らぬ将軍。勇敢な騎士。王国の元帥。イスパニアの武装した腕(かいな)。
彼は死んだ。
町の吟遊詩人はエルシドの葬儀の様子をこう歌った。
「ロドリゴ・ディアス・デ・ヴィヴァラ。エル・シードの棺桶は ブルゴスの街の中へ
槍に三角旗(ペンドーン)をなびかせた 六百騎を従えて入って行く。
エル・シードを一目見ようと 男も女もみな出て来たが
大通りに面した家々では 窓かげにそっと寄り添い見送る。
人びとの嘆きは深く 目に涙をたたえて
かれらの口からもれる つぶやきはただ一つ--
『ああ、よき主君に仕えたなら よき臣下であったろうものを!』」(参考『エル・シードの歌』岩波文庫,1998)
[[]]