コインブラ伯アルヴァロ、57歳。
コインブラ家の始祖シスナンドの次男にして、ポルト公爵ディニスの摂政であるこの老人は、
前公爵サンショ2世の遺志を継ぎ、内政の発展に力を注いだ。
既に北部地方の開発はあらかた終わっていたため、
リスボアやエヴォラ、カステロ・ブランコなどの中南部地域の開発が推し進められる。
リスボアの漁港は貿易港に姿を変え、舗装路が全土に張り巡らされた。
駅伝所や裁判所の設置は行政効率を高め、公国の収益は上昇した。
問題はポルトの宮廷における人材不足だった。
サンショ2世の治世において、家臣たちは次々と近隣の国々へと去り、
今現在、まともな廷臣の数は数人のみ。それも有能、忠臣とは言い難く、
いつ何処へ去って行くとも知れない状況だった。
ポルト公国の再征服活動が停滞している間に、半島東部ではイスラム勢力支配地がピレネウス山脈にまで達していた。
1131年にはリオハ伯国が滅ぼされ、イスラム教徒を含む多数の貴族が
ポルトの宮廷へと亡命してきた。これにより人材の不足は思いがけず解消されることとなる。
7月、摂政アルヴァロは亡命アラブ人貴族ムラドを元帥に任じ、
聖なる十字軍によるアルカセル・ド・サルの奪回を計画した。
「アラブ人との戦いは、アラブ人をもって制すべし」
同地がポルト公国より奪われた1086年の屈辱を晴らす時が来たのだ。
ムスリム勢力はカタルーニャ征服によって疲弊していた。
アルカセル・ド・サルを支配するヘブロン首長国への宣戦布告とともに、
リスボンよりムラド元帥率いる4000の兵が侵攻。
完全に不意をつかれたアルカセル・ド・サル市は瞬く間に陥落した。
ヘブロン首長はこの大軍を前に和平を乞い、ポルト軍はこれを受諾。
正当な支配権を45年ぶりに取り戻した。
8月、斥候が大規模なイスラム軍の移動を確認した。
ヘブロンの宗主国、セビーリャの反攻である。
その数1万以上。この反撃を迎え撃つべく、
ポルトからはディニス自らが4000の兵を率いて南へと向かった。
しかし、迎撃の準備を整えたディニスの前に使者が現れ、和平を求めてきた。
実はアンダルスの南端に位置するムルシアが、本国に対して反乱を起こしたのだ。
内乱の拡大を恐れたセビーリャは、北方の領地1州の譲渡で手を打とうと考えたのである。
この幸運をディニスは神に感謝し、喜びに満ちた顔つきで停戦条約に調印した。
ただ、憧れの初陣が不戦勝に終わったことには不満だったようだが。
さらに驚くべき報せが舞い込んだのは10月である。
ガリシア公マルティン・ヒメネスが男児のないまま没し、
ガリシア公爵の地位とコンポステラの地がディニスのものとなったのだ。
これは母エステファニアからのヒメネスの血によるものであった。
さらに11月にはレオン女伯が67歳で死去し、この地もディニスが相続した。
女伯ペロネリャ・デンピュリエはエステファニアの母であり、ディニスの祖母にあたったのである。
こうして短期間のうちにディニスは新たに3つの州を得ることとなった。
1131年12月25日、成人したディニスはポルトの大教会において新しい王国の成立を高らかに宣言する。
その名は、ポルトの古名ポルトゥス・カレにちなみ、"ポルトガル王国"とされた。
そして同時にディニスはポルトガル初代国王に即位し、リスボアへの遷都も宣言した。
「ポルトガル王国万歳!国王陛下万歳!」
民衆の歓声が街中で大きく響いていた。
ポルトガルの再征服は、今まさに新たな局面を迎えようとしていた。
続く...
前章../追放と離反を見る
プレイレポ/ここに地果て、海はじまるへ戻る