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果たして翌年1月、父ヘンリーがついに死んだ。
イングランドの地は私のものとなった…が、いまだ諸侯が蜂起したままだ。
私としてはすぐさま教皇の仰せに従ってアレクサンドリアを攻めたいので、
彼ら全ての土地を安堵し、再臣従させ許すことにした。
ともあれこの戦争状態は利用できる…。
どさくさまぎれにウェールズとアイルランドの公に戦争をしかけ、
1200年8月、イングランドの騒乱を治めるころにはウェールズ王とアイルランド王をも兼ねることができた。
そうして後顧の憂いを拭った吾輩はその年のうちに栄光ある第3次十字軍へと出立した。
亡き母が当時参加した1147年の第2次十字軍は失敗に終わったが、その無念を私が晴らしてみせようぞ。
当地の英雄、「宗教の救い」サラディンはすでに亡くなっていた。是非槍を合わせてみたく切望していたのだが…
ともあれ天命であれば仕方ない。
すでにかの地のアイユーブ氏は聖地イェルサレム王国の軍に押しまくられており、我々の仕事は少ないように思われた。
1201年6月にシチリアの南からアフリカに上陸し、イスラム諸侯を臣従させつつ東進していくと、驚くべき報が。
弟、ミーズ公ジョンの臣たるウルムム伯がアレクサンドリア攻略一番乗りを果たしていたのだ。
どうやらあの内乱中、ジョンがイングランド邦に再加入してからもイングランド再統一までしばらく時間がかかっていた間
すでに軍を出立させていたようなのだ。
我が誇るべき陪臣ウルムム伯の素晴らしい功績を讃う。
となれば我が国として聖なる任務は果たしたこととなる。
1201年11月、アイユーブの王 と交渉し、和平を勝ち取ると帰国の途についた。
第3次十字軍は成功を収めたと言ってよかろう。