ナコニド家(リューベック)/主の1321年。空に大いなる凶兆が現れた

私生児サイモンの隠謀

主の1343年。私生児サイモンは亡き兄の妃エルフトリトを娶った。
人々はこの結婚を喜ばず『なぜ彼女は自分の夫を殺した男と結婚できるのか』と言った。
(『ナコニド家年代記』)

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ニコラス・バークレー
旧公国時代からナコニド家に仕えてきた老将

「そうして先代アーノルド伯は、聖戦への期待に胸ふくらませ、
十字軍の基地港たるマルセイユを船出なさったのですじゃ。

目指すはシリア、バールベック土侯国!
船端や帆柱にたなびかす長幡、旗幟の華やかさ、
若さまたちに見せとうございましたなあ……」

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バールベックの独立土侯イスマイル・アル=ケスラン
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1332年、クロアチア王臣トリポリ伯領、バールベック土侯国
サセックス伯アーノルドは当初トリポリ土侯国を狙ったが
クロアチア王に先を越され、あらためてバールベックを標的とした

「わが率いるはサセックス直参5000、オック傭兵2000の大軍。
対して敵は1500、容易にこれを蹴散らすものと思われましたが、
アラブの強弓の放てる矢、まさに空を覆う暗雲のごとし。

じりじりするような矢いくさの果ての果てに、
先代はついに撤退を命じなさった……。
と、そこへ現れしノーフォーク公の黒金旗!」

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ダマスクス・ナコニド家のアーサー、ノーフォーク公臣
第六代ノーフォーク公リチャードの弟 グレゴリー系唯一の生き残り
1320年代の十字軍でダマスクス伯に任ぜられた

「ダマスクスのアーサー殿が援軍、アラブ騎兵1700でござる!
この助太刀を得て戦況は一転、1332年の8月には
先代はバールベックを陥落させるに至ったのですじゃ」

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上:●1331年8月、ノーフォーク公位継承順(選挙法)
下:●1332年9月、ノーフォーク公位継承順(選挙法)
2州を領したことでアーノルド伯は継承第一位にのしあがった
その先にはイングランド王位がある

老将バークレーの熱弁にペヴェンシー城の広間は沸きに沸きました。
今宵は新サセックス伯トルキテルの婚礼の夜。
はるばるアイスランド公国よりエルフトリト姫を迎えての盛大な祝宴でござります。

時を同じくして、トルキテル伯の弟ファルクが
ダマスクス・ナコニド家のアーサー娘ジュリアナと婚約に至ったことが発表され、
ペヴェンシー城はさらなる慶賀の声に満ちあふれたのでござりました。

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上:第二代サセックス伯トルキテル、その妻エルフトリト・クヌートリング
下:伯弟ファルク、その婚約者ジュリアナ・ナコニド
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私生児サイモン・ナコニド

喜び騒ぐ広間の片隅で、せむしの若者がバークレーの言葉を継ぎました。

「そして5年が瞬く間に過ぎ、先代はさっさと死んで土の下。
二人の兄貴は嫁をもらって上機嫌だが、この俺、私生児サイモンは
醜い背中をよじらせ広間の片隅で一人酒ときたものだ。

俺が何になれる?
よくて暢気な田舎司祭、悪くすれば土の下、私生児の末路なんてそんなもの。
どうせままならぬこの世界、いっそ思い切り悪党になって
この世のすべての美徳を軽んじ、笑い飛ばして見せてやろうではないか。
すでに筋書きはできている、剣呑な筋書きがな!」

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ノーフォーク公ルノー・ド=クールソーユ
ド=モンフォール家から公国の実権を奪い、宿敵ノルウェーとの同盟を実現させた

主の1339年、主君ルノー公はノルウェー王に呼応してドイツ共和国に宣戦いたしました。
サセックス伯トルキテルにも動員の指令が下ります。
トルキテル伯は弟ファルクに領地を任せ、華々しく出陣なさったのでござりました。

「これがわたしの初陣となる。
愛するエルフトリトよ、必ずいさおしをあげて帰ってくるぞ」

翌40年の9月4日、南独ケンプテンにて共和国軍17000と
ノーフォーク軍13200が激突いたします。
トルキテル伯はサセックス、ドーセット、ケント、
コルドバ、カラトラバの兵3800を任されて獅子奮迅の活躍を見せました。

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1340年9月4日、ケンプテンの会戦
アルプスを押さえドナウ渓谷に駆け下りようとするノーフォーク軍の勢いに
共和国軍はなすすべがなかった

ルノー公はケンプテンの包囲に入りますが、これがなかなか落ちませぬ。
そうして10月になりました。
次第に深まる秋に雑兵どもも浮き足立ってまいります。

「兄上、秘策がございます」

従軍司祭として軍に加わっておりましたサイモンは兄に耳打ちいたします。

「役僧どもを絞り上げて話をさせましたところ、
城の礼拝堂の片隅に秘密の抜け穴があるとのこと。
うまくすればここから城内へ忍びこめるのでは?」

「面白い! それなら一息に城を落とせるな」

早速トルキテル伯は勇者を募って突撃隊を編成いたしました。
10月10日、御自身が先頭を切って城内に突撃、
見事にケンプテンの城を陥落させたのでござります。

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しかしトルキテル伯御自身は生きてお還りにはなりませなんだ。
サイモンは遺体となって収容された兄の姿を見て

「まったく見事ないさおしというわけだ、愛すべき阿呆のトルキテル。
お妃もさぞかし喜ばれるであろう」

とつぶやいたのでござりました。

エルフトリトの陥落

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1342年暮れ、ソールズベリの坊主どもがペヴェンシー城に乗り込んでまいりました。

「当地で黒魔術が行われているとの告発あり!
教皇聖下の名においてエウフェミア・シュターデンなる女に出頭を命ずる!」

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黒魔術の疑いをかけられた家令エウフェミア・シュターデン
つくづく波乱の生涯である
誰が彼女を告発したのかは知られていないが、まあ大体想像がつこうというもの

エウフェミアは故トルキテル、ファルク、サイモンの育ての親。
とても看過できる事態ではござりませぬ。

「ファルク兄上、まさかエウフェミア伯母さまを火刑台に送らせなどいたしますまいな」
「だがサイモン。教皇聖下の御命令とあっては……」
「我ら兄弟の育ての親ですぞ!」

ファルクとサイモンは相談の上、坊主どもを追い返すことに決めました。
坊主どもは抵抗しますが今をときめくノーフォーク公国の臣に対して無理は通せませぬ。
あきらめてソールズベリへと帰ってゆきました。

「使徒座に対する叛逆、決して許されると思うな!」

坊主どもの言葉は脅しではござりませんでした。
はるばるコンスタンティノープル聖庁から破門状が送りつけられてきたのは
その翌月のことでござります。

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第三代サセックス伯アルドウィン 先の伯トルキテルのただ一人の子
エウフェミア黒魔術事件の余波をくらって破門される
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●3年前、トルキテル時代のノーフォーク公位継承順位
1339年時点で二位につけていたペヴェンシー・ナコニド家だが
黒魔術事件で一気に枠外まで順位を落とし、公位継承戦から事実上脱落した
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前伯妃エルフトリト・クヌートリング

「我が子になんという仕打ちを……まだ道理も解らぬ幼児ではありませんか!」

嘆き悲しむのはアルドウィン伯の母エルフトリト。
よじれた背中をかがめ、私生児サイモンは彼女を慰めます。

「わたくしはお留め申したのです、
いくら育ての母といえ黒魔術に手を染めていたとあっては火刑もいたしかたないと。
だがファルク兄上が……」

「寄るな! 汚らわしい。
どうせこの破門もおまえのその口から出た災いなのであろう。
わたしには解っているぞ、悪魔の手先。
その歪んだ口がいかにして我が夫を死に追いやったのかを!」

「それは貴女が愛されていたからです」

「誰に?」

「ナコニドに」

「それこそ我が夫の名」

「同じ名前で、もっと愛している男がおります。
彼のすべての所行は貴女を奪わんがため」

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数多の言葉と手練手管。
ついにサイモン・ナコニドはエルフトリトを言いくるめました。
この黒魔術事件を境としてエルフトリトはサイモンの舌に操られる木偶と化し、
彼女の不信はもう一人の義弟ファルクに向けられてゆくのでござります。

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1343年5月、私生児サイモンはトルキテル未亡人エルフトリトを娶った
婚礼はバールベックに完成した初の天蓋式聖堂にて行われた

大粛正

サイモンは無役のままにサセックス伯領の実権を握ります。

主の1344年1月、「どうせ領主は破門の身」と言って
あやしげな商人どもから大規模な借金をいたしました。
これをまた教会の建立に城の補修にと派手に使うのでござります。

サイモンの施策に反発が強まると、なんと出奔まで企てて同情を買います。
妻エルフトリトに涙ながらに引き止められたサイモンはこうつぶやきました。

「ふん、もう忘れてしまったのか。あの勇敢な兄トルキテルのことを。
そうしてその愛を俺に、夫を殺し息子を破門させた醜い男に捧げようというのか?
まだ2年だ、2年のうちにもう忘れてしまったのか?」

1345年春、サイモンの勧めで幼いアルドウィン伯は修道院へ送られました。
そうしてこれがナコニド家の歴史に残る大粛正の合図となったのでござります。

追放、追放、追放せよ!

家令を除くすべての役付き家臣が役を外されました。
復職を嘆願する者、職を求める者をすべてサイモンは追放します。
こうしてシャハラム・ド=モンフォールを初めとする4人の廷臣が
サセックス宮廷から姿を消したのでござりました。

1345年10月、共和国軍と戦っていた兄ファルクがドイツで捕虜になりました。
サイモンはたった60万ポンドの出費で彼を救うことができたにも関わらず、
これを惜しんで兄を見殺しにしました。
憤ったファルクの妻ジュリアナがじき出奔いたしましたのも当然のことと申せましょう。

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ノーフォーク軍サセックス隊将ファルク・ナコニドはドイツ軍の捕虜となり、殺された
誰かが敵にファルクの居所を教えたために急襲されたのだ

これらの粛正は何を目的として行われたのでござりましょうか。
伯位の継承順を知る者にとって答は明らかでござります。

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○1347年5月、サセックス伯位継承順(選挙法)
サイモン・ナコニドの後には息子のジョーダンが続く

サイモンは見境なく追放を繰り返しておったのではござりませぬ。
継承順で彼の上に座する者だけを慎重に選び、これを放逐いたしたのでござります。
1347年5月、サイモンの上位におるのは
55歳のルホラー・ド=モンフォールだけとなりました。

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賢臣ルホラー・ド=モンフォール
ド=モンフォール家がペルシアに持っていた所領がガズニ朝に奪われ、
はるばるイングランドまで逃げてきた

12月、みずから密偵頭となったサイモンは三度目の試みでルホラーを暗殺、
ついにサセックス伯第一継承者となります。

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○1347年12月、サセックス伯位継承順(選挙法)

また7月にはある諸候から主君ルノー公に対する暗殺計画を持ちかけられ、
これに加担いたします。試みは成功し11歳のギー公が後を継ぎました。

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イベント暗殺されたルノー・ド=クールソーユ
破門され、しかも内乱の危機にありながら盛んにドイツへ外征をおこなったため
ペヴェンシー・ナコニド家を含む有志諸候によって暗殺された

諸候たちは堂々とルノー公の葬儀に出席いたしました。

「深く愛していた主君だ。泣かずにおれぬ」

「そうとも、ド=グレイストーク殿。我々は異教徒やトルコ人ではない。
どさくさにつけこみ国法を無視して事を図ろうとしたなどと、誰にも言わせはせぬぞ」

「イングランドの平和と我が身の安全を思えばこそ。そのためのやむを得ない処置、
ド=コントヴィル殿はそうおっしゃるのですな?」

「さよう。もっとも、ド=クールソーユ家が公位に座り続けるのはしゃくではありますな」

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1347年7月、継承順一位にあたるカラトラバ伯ギーがノーフォーク公となった
先のノーフォーク公ルノーの孫である

ペヴェンシー・ナコニド家は当主アルドウィンが破門されているため、
ノーフォーク公位継承戦には加われず枠外のままでござります。
しかし破門という要素をいったん脇において考えますならば、
ルノー公暗殺事件によってペヴェンシー家は実質的な継承順一位に
繰り上がったと言えるのでござります。

仮の話をいたしましょう。
もしアルドウィン、ギーという二人の少年が何らかの理由で命を落とし、
そうしてイングランドのあと1州を自領に加えたとするならば?
サセックス伯の私生児サイモンは一躍イングランド王となるのでござります。

「呪われた運命、よこしまな舌、
あれほどいやらしいひき蛙は見たこともない……!」

我が子アルドウィンにすべての悪名をなすりつけ、裏で勝手放題をやるサイモンを、
妻エルフトリトは恐れ忌み嫌うようになっておりました。

「わたしは一度たりとも甘美な眠りを味わったことがない。
恐ろしい悪夢におびえる夫の声にいつも目を覚まされるのだ。
ああ、あの男は身の回りのすべての人間を憎んでいる!
そのうち、きっと、このわたしを亡きものに」

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主の1348年1月、アルドウィン公の母にしてサイモンの妻エルフトリトは
第四子を妊娠中にいずくかの手の者に殺されました。
あからさまにサイモンが疑われましたが、今回は彼は手を下しておりませぬ。
ド=クールソーユ家、またはド=モンフォール家の報復でござりましょうか?

とにかく邪魔はのうなったのでござりました。

「筋書き通り、ははは、すべては筋書き通りだ!」

私生児サイモンは着々と地歩を固めます。
このままならぬ世界の、すべての美徳を笑い飛ばしながら。



灯し火も暗うなってまいりました。
今宵はここまでにしとうござります……。



主の1375年。王ジョフリーはすべての戦場でノルドの軍勢を打ち破った

ナコニド家(リューベック)

参考:ナコニド本家筋

アンリの三人の息子たち(エイマール、グレゴリー、ギヨーム)の血筋が
一般にナコニドの本家筋と考えられている。
14世紀中葉、そのうち3家が生き残っていた。

ペヴェンシー家(エイマール系)

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サセックス伯アーノルド ノーフォーク公臣

名君エイマール、福者ルイの血筋を受け継ぐのがペヴェンシー家である。
公妃エウフェミアを初めとする旧公国廷臣がみなこちらに仕えたこともあって、
一般には本家筋の筆頭とみなされる。

新ケント家(エイマール及びグレゴリー系)

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ケント伯ラウル ノーフォーク公臣

隣国ケントを領する新ケント家は
エイマール息ハンバートとグレゴリー孫娘イザベルの結婚によって創始された。
ノーフォーク公位を初めとする旧公国時代の称号請求権を一手に握り、
ペヴェンシー家とは本家の地位を巡って敵対関係にある。

ダマスクス家(グレゴリー系)

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ダマスクス伯アーサー ノーフォーク公臣

第六代ノーフォーク公リチャードの弟アーサーは
フランス王主催の1320年代十字軍においてダマスクスを切り取った。
ペヴェンシー家と婚姻関係があり、当主同士の交友も深かったという。


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