死の直前に彼の父である偉大なルイが打ち明けたのは、ローマ法王の称号を保持しながらローマ皇帝の位に就くことである。カペー家の権力の前では不可能が可能となる。父王ルイの死後即座にフランス王国の軍隊をローマに迎え入れた彼はローマ皇帝就任を宣言したのである。膨大な軍隊の前では全てが無力であった。こうして法王の三重冠と皇帝の冠を持つルイ7世が誕生したのである。
即位したとき既に彼は52歳であった。神に仕える身としてルイは独身であり当然子供は居なかった。そこで彼は妻を娶ることと成る。ローマ法王としてではなくローマ皇帝として彼はアラブ出身の女性と結婚することとなった。
ローマで皇帝に即位した直後十字軍の派遣が決定された。もちろん彼自らが軍を率いていくことと成る。目的地は中東。かの地をローマ帝国の手に取り戻すためである。十字軍の目的は聖地奪還およびローマ帝国とローマ法王の合体により大きくその性格を変貌させていくこととなる。
1210年戦地に居るルイの下に娘誕生の報告があった。名をブランシェと名づける。そしてその年彼は地中海沿岸にその勢力を伸ばし十字軍を終えることと成る。新たに得た領地を忠実な家臣たちに分け与えた。
1211年次女メリセンデ誕生。