1066年、ブルターニュ公であったコナン2世レンヌが死去。嫡子がいなかったために、姉婿であったコルヌアイユ家のホエルがその地位を相続する。
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さて、初期状態を確認。所領は6領邦で、うち直轄領が2つ。
首都ナントは基本収入6で、交通の要衝にあるということで技術伝播においても有利な地:技術伝播マップである。
また当主ホエルは突出して秀でた能力があるわけではないが、全体的に高レベルな能力を持つ優秀な人材である。
とはいえ親族はこの年生まれたばかりの長男アランと、一回り以上も年の離れた兄が二人だけ。妻は既に33歳とこれ以上の子は期待できないため、アランに万が一のことがあった場合の保険に次兄ベネディクと隣国アンジューの貴族の娘アリックスとの婚姻を取りまとめる。
なお、管理12を持つこの新妻は公国の財政の安定に大きく貢献してくれることとなった。
法律は封建制度を導入。
その後間もなく、こんなラッキーイベントが発生。
封建制は兵力も大きいし、こういうグッドイベントが多いから序盤はおいしい。
1071年、なんと妻が妊娠したという報告が飛び込んでくる。38歳という高齢でのことであり、宮廷の人間にとってはまさに青天の霹靂であった。
翌年に男児が誕生。ヤンと名付けられる。ホエルはこの子を修道士の下で養育させ、将来は神職へと進ませるつもりであった。
ところがその後、ナントにて天然痘が流行。そのせいか宮廷でも病気になるものが続出し、ホエルの姉や姪たちまでもが命を落とすことになる。
数年後にはようやく疫病が収束したが、娘たちを次々と失った悲しみから執事である兄嫁アリックスはストレス症状に悩まされるようになってしまった。
1075年、十字軍の召集が宣言される。目的地はアンティオキア。おそらくは教皇後見人であるカノッサ伯マチルダが仕掛けたものであろう。
ところが諸侯が出陣の準備を整えている翌1076年、突如として十字軍の敗北が宣言される。行動を何も起こさぬうちからの突然の中止は諸侯の憤りを招くこととなった。
おそらくマチルダも教皇の不興を察したのであろうか、1078年に再びイェルサレムへの十字軍が宣言され、イングランド王やデンマーク王が軍勢を率いて聖地へと向かっていった。
同1078年、兄ベネディクが58歳で死去。これがストレス症をわずらっていたアリックスへのラストストローになったのであろうか、ついに精神分裂病を発症。
もはや執事の職務に耐えることは叶わないため、ローマから派遣されていた教区司教を執事に変更。
とはいえこの件によって、公国の収入は大きく落ちることとなってしまった。
その後アリックスは、錯乱した中から天使を見る。
最期は宮殿の一室にひっそりと監禁されたまま、1085年にひっそりと寂しい死を迎えたのであった。
さて、1082年になって長男アランが成人。「謀略をめぐらす策謀家」となる。
1084年にはウェールズ進出の大義名分を得るためにデヒューバート公の長女との婚姻を取りまとめ、コルヌアイユ伯に封じる。
さてこの結婚により威信が300を越え、小さい伯領相手のクレームならば付けられるようになった。最初の目標は、4領獲得すれば王位を宣言できるウェールズである。
ちなみに北部を支配するグウィンネッド公は既に3領を持つ。先んじて王位を宣言されると奪うのが厄介になるため、我がコルヌアイユ家が先んじて南部3領を手にしなければならないのである。
折りしも2領を持つグラモーガン伯の長男が成人し、グウェント伯として独立。
独立したてでちょうど同盟から孤立していることもあり攻撃しやすかったので、称号を横取りして宣戦布告。
封臣4領全てから兵力を供出させ、ウェールズに向けて上陸させる。
ちなみに直轄地のナントの兵は金がかかるためお留守番である。まあ、渡海費用は全て宗主が持つのでこれくらいは勘弁してもらおう。
大した抵抗もなくグウェントを占領、領地を奪われた伯は父の元へと逃げ帰り、あっさりとグウェントの領地を手に入れることに成功した。
その後は威信も大して上がらず、溜まった金で直轄領の施設を建設し続ける。
兄ベネディクの遺児のうち唯一成人できたエレナを嫁に出し、次男ヤンが「神学者」として成人したのを見届けた直後の1089年、ホエルは58歳で老衰により死亡。病気もストレスも一切無い中での大往生であった。
死に伴い、生前の敬虔さと純潔が教会に評価され、聖者と列を成すものとして天国の門をくぐることとなったのであった。
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