プレイレポ/Die Geschichte von Hapsburg
ノルウェーの併合に成功し、さらにはローマ教皇から帝冠を送られるが毒を盛られ死亡。
1129 | ノルウェー併合 |
イングランド・フランス間の戦争始まる | |
1130 | プラハ獲得 |
1133 | 北スウェーデン遠征 |
1134年 | 帝位に付く |
1136年 | 毒を盛られ翌月死亡 |
弟Rudolfの死後後を次ぐが、ノルマン文化をこよなく愛するSerloに対してドイツ人までが反旗を翻しかつて無い規模の内乱になる。反乱鎮圧の最中に毒を盛られ死亡。
1141年 | 毒を盛られ死亡 |
政治に強く戦争を苦手としたBrunoは卓越した統治能力を発揮し、家運傾きかけたハプスブルク家の安定を図った。
彼の主な業績は三点。
まず父と叔父が押さえ切れなかったバルト海対岸のノルウェー、スウェーデンの独立を認めたこと。
次に反抗的な封臣を取り潰し、数多くの豊かな所領をハプスブルク家にもたらしたこと。
最後に十字軍に協力し、エルサレムの奪還、イベリア半島の異教徒討伐に大きな功績があったことが上げられる。
なお、死後には列福された。
1141 | ノルウェー、スウェーデン独立 |
1144 | 対フランス戦争開始、即座に和平 |
セルジュークトルコ戦争開始 | |
1145 | 教皇後見人になる |
1147 | トルコと和平 |
1149 | トルコと再び戦争状態に! しかしすぐに和平 |
シチリア王国を攻めこれを併合する | |
同年、ラヴェンナ司教をシチリア大司教につける | |
1152 | カスティーリャ戦開始 |
1156 | 対スウェーデン戦、シュレスビヒ、フュン、スコーネなどを獲得 |
1158 | 帝位に付く |
1166 | 対スウェーデン戦、すぐに和平 |
1169 | アキテーヌ領に侵攻してきたエジプト軍と交戦状態に |
1172 | エジプト王国と和平、同時にポルトガル王位を獲得する |
1173年 | 再びエジプト王国と交戦状態に |
1179 | 死去 |
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第二代当主Konradの頃より、ドイツ王国とハンザ同盟との関係は切っても切れないものとなっていた。
彼らはフランドルの織物、バルト海のニシン、ポーランドの穀物、リトアニアの木材、琥珀、その他にも毛皮などを扱い、主として海運によって商品を運んだ。
そのため、ハンザ商人を支援するBrunoは国内の安定を確立すると、北海~バルト海交易の要衝であるデンマーク王国領を事実上支配していたスウェーデンと激しく対立することとなる。
両者の対立は1156年のドイツ-スウェーデン間の戦争に発展。Brunoはバルト系沿岸の領邦から大軍を召集し、瞬く間にスウェーデン軍を蹴散らした。
その結果、デンマーク王国領は完全にBrunoのものとなり、ユトレヒト半島-スカンディナビア半島間を航行する船から莫大な海上交通税を得ることが可能となった。
さらに、ブルージュ、プラハ、リューベック、シュラン島、スコーネ等の商業の拠点を王家直轄とし、税収の拡大に努めた。
ドイツ王に庇護を求めるフランス最大の領主アキテーヌ公が臣従を申し出てきたことはこれまで北海、バルト海沿岸の覇権争いに集中していたBrunoが南ヨーロッパに大いに関心を持つ機会となった。
聖地エルサレムを領土としているがために十字軍の標的となり、欧州主要国と交戦状態となっていたエジプト王国は、イベリア、エジプト、シリアと広大な領土を持つがゆえに各戦線に兵力を集中することができず、ドイツの参戦と共に瞬く間に崩れ、イベリアにおいては直轄領5つを残すのみとなるのだった。
主にイベリア半島西部を手中にしたBrunoはポルトガル王位を宣言。
しかしながら、本国から遠く離れていることもあり、統治が困難であるとして異教徒攻めに協力したアキテーヌ公爵にポルトガル王の冠を授けるのだった。
ドイツ王国 | 詳細略 |
イングランド王国 | 相変わらずノルマンディー朝が続く、大陸領土は残り2まで減少 |
スコットランド王国 | イングランドと時折戦禍を交えていたものの領土に変化なし |
ウェールズ王国 | 特になし |
フランス王国 | 一時期ヴェネッツィア共和国にイルドフランスを奪われるが奪還。王位もBlois家に移る。 |
イタリア大司教領 | トスカナ公がドイツ王国に寝返ったため急速に権威失墜中 |
ローマ教皇 | エルサレムがキリスト教徒の手に戻りご満悦の様子。 |
シチリア王国 | 肝心のシチリアはまだ大部分が異教徒の手に・・・ |
ナヴァラ王国 | エジプト王国に押し込まれアラゴン一帯を失う |
レオン王国 | 北アラゴン一帯と北ポルトガルを獲得し復権 |
カスティーリャ王国 | エジプト王国からエジプトのあたりの領土を割譲させるが維持困難か |
ポルトガル王国 | アキテーヌ朝が始まる。諸勢力が複雑に入り組んだイベリア半島に安定した地盤を築けるか今後に期待 |
ブルグンド王国 | 現在の当主はOttoの孫のBruno(同名だが別人)。 |
ノルウェー王国 | 異教徒討伐に力をいれ、北スウェーデンに進出 |
スウェーデン王国 | 復活したもののドイツ、ノルウェーに侵食され弱体化が著しい |
ハンガリー王国 | クロアチアを併合しアドリア海に到達 |
ビザンツ帝国 | ブルガリア王位を獲得しし、バルカン、アナトリア一帯を安定させる |
ヌビア王国 | キプロス島を占拠してイスラム勢から生き残っていた。現在は黒海沿岸に勢力拡大中 |
エジプト | イベリアに残っているのは5プロヴィンスのみ・・・本土もアレクサンドリアを失い完全に失速中 |
セルジュークトルコ | 内乱の危機の真っ最中 |