プレイレポ/聖ジョージアの騎士団

グルジア王に即位した私は、すぐさま懸案の課題にとりかかりました

ゲルゲン・バグラトゥニ

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ゲルゲン・バグラトゥニ。ギオルギ王の私生児。執念深い性格をもつ

私はアブハジア伯爵ゲルゲンこそが父殺害の首謀者だと思っていました
しかしゲルゲンはそれを否定し、証拠もなかったため、それ以上の追及はできませんでした

妻の浮気

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妻の浮気。間男は、「舌足らず」の司祭くずれ、セルギィ

即位して間もなく、妻の浮気が発覚しました
私にとってこの個人的な不幸が治世最初の試練でした
主よ、なぜこの私を試みに遭わせたもうのですか
私は悩みました

悩んだ末にだした私の結論は、妻の浮気を黙認するということでした
妻はビザンツ皇帝の妹で、ビザンツ皇帝は私の友人でした
グルジア王国がクマンやデルベント、そしてセルジュークといったイスラム諸侯の海のなかで生き残ってられるのは、
グルジアとビザンツの友好関係があったればこそだと思っていたからです

間男セルギィはつまらない男で、すぐに馬脚をあらわしました
彼は政敵とのつまらない諍いが原因で、宮廷で殺人事件を起こしたのです
私は彼を処刑しました
私が復讐の喜びにひたったということを、ここで否定するつもりはありません

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デルベント首長国の話をしましょう

デルベントはこれまでカスピ海貿易で大きな利潤をあげ、カスピ海西岸に勢力を誇っていました
しかし、ハザールのクマン族が南下してくると、デルベントはその圧力に耐えることができずに衰退していきました

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1100年のデルベント首長国。緑が当時のデルベント領。オレンジは最盛期のデルベント領

私はいくさを決意しました

弟のエリッツ元帥、アブハジアのゲルゲン伯爵などに号令をかけ、動員し、進軍を開始しました
デルベント首長国はクマンとのいくさ続きで疲れ果て、ずるずると後退していきました

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テイムラズの活躍

1101年、デルベント首長国は降伏し、グルジア王国への朝貢と、カスピ海貿易利権の譲渡をおこなうことを受け入れました

1103年にはカソグスでキリスト教徒が反乱し、グルジア王国への服属を受け入れました
1104年には同じようにタオがグルジア王国の版図に組み込まれました

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