1096年
Leo Palaeologus Prince of Achaea (19歳)
家族: 妻 / 女子1
能力: 12/13/12/8
性格: Chaste / Zealous / Reckless / Suspicious
父 Georgius から Prince of Achaea の名を継いだ Leo。
Misuguided Warrior なのに、外交13、陰謀12と妙に高スペックです。
さすが Prodigy は伊達じゃない。管理が8と平凡なのが、やや残念なところ。
しかし、子は女子が1人、しかも病気持ちと、あまりよろしくない状態です。
Death by Illness でも起ころうものなら、一発で滅亡してしまうので、
できれば男子を早く生んで欲しいのですが、さてどうでしょうか?
1096年の世界情勢。Castillia 王国が大暴走し、フランスとドイツは虫の息。
Poland 王国と共にドイツを切り分け、 アイルランドにまで領地を広げています。
公国の足元である東欧は安定しています。ビザンツ帝国もなんとか持ち堪えている様子。
とはいえ、皇帝がこの有様では長続きしそうにないが。どうしてこうなった。
1099年、待望の長男 Ioannes 誕生。彼が生き長らえてくれれば、公国も安泰。
同年、独立国 Shiekdom of Siracusa を征服。「異教徒どもを Sicily から放逐するのだ!」
1101年、次男 Demetrios 誕生。まずまず順調に後継ぎが生まれています。
Sicily は割と豊かな地方であるため、収入も伸びてきました。
が、この頃からである。 Achaea の宮廷に異様な雰囲気が漂いはじめたのは。
「陛下、陛下、大変です!!」 「なんだなんだ、騒がしい」
「Eirena 様が大変なことに…」 「姉上がどうかしたか? 最近、激務で疲れているようだとは聞いているが」
「それが… 陛下ご自身の目でご覧になって頂くのがよろしいかと…」 「どういうことだ?」
「アハ、アハハハハハハ!!!!」
「姉上…!!!!」
まず、密偵頭であり姉でもある Eirena がストレス症を悪化させ、精神分裂症を患った。
Palaeologus 家きっての才女として名を馳せ、陰で公国を支え続けてきた姉が狂気に堕ちていく様に、Leo は戦慄した。
そして、時を同じくして、宰相としてやはり国を支えてきた母 Pulcheria が続いて精神分裂症を患い自殺。
母として、宰相として、敬愛されていた Pulcheria の死は、公国に暗い影を落とすことになる。
さらには病気が蔓延し、妻 Eudokia をはじめとして、病を患う家臣が相次いだ。
「一体全体、我が国に何が起ころうとしているのだ!?」
この間、三男 Konstaninos が誕生するという幸運もあったが、それどころではない。
Leo は愕然とした。一体なんの罪があって、このような仕打ちを受けなければならないのか?
父 Georgius 公に似て信仰心に篤かった Leo は、宗教にその答えを見出そうした。
そうでもしなければ、きっと自身が狂気に憑りつかれていたのだろう。
「私の信心が足りなかったばかりに姉上や母上が…」
「二度と同じ過ちは繰り返さぬ、異教徒どもを蹴散らすのだ、進め!」
Sicily からの異教徒追放を完了させるべく、Shiekdom of Trapani を征服。
さらに、背後についていたアフリカの Beni Helal 王国に軍を送りこみ、1106年、これも征服。
軍を東に返すと、Emirate of Sevillia 配下の Shiekdom of Tripolitania および Syrte を征服。
まさに狂信的ともいえる勢いで、異教徒から土地を奪っていった。
時を同じくして、ドイツ王がエルサレムを奪還したことにより第一次十字軍が終結。
偶然か、あるいは必然か。宮廷での不幸も収束に向かっていった。
しかし、その代価は決して安いものではなかった。
大軍の輸送および維持に莫大な費用を注ぎ込んでいたからである。
一連の遠征によりアフリカの5州を公領に加えたものの、借金は1000goldを超えていた。
三部会の召集により幾らか改善したものの、領地の城や学校を切り売りして当座を凌ぐ日々が続いた。
ついに借金を完済したのは1123年。遠征の終了から5年近い月日が流れていた。
借金の返済を終えた Leo は公国の地盤を固めるべく、内政に励んだ。
まずは長男 Ioannes に Achaea 4州を預け、公国の軸足を豊かなシチリア方面に動かす。
同時に旧 Beni Helal 王国領に次男の Demetrios を配置し、対立する Zirid 王国への備えとした。
三男 Konstaninos も自身の土地を欲しがっていたが、無能であった彼に領地が与えられることはなかった。
「無能な息子を持つということが、かくも面倒なことだとはな」
さて、アフリカでの戦果を背景にシチリア各地の領有権を主張していた Leo であるが、
Duke of Apulia がカスティーリャ王国の支配下に入ったため、身動きが取れずにいた。
そんな中、1130年に転機が訪れる。長年に渡り敵対してきた Zirid 王号の請求権を得る好機が転がり込んできたのだ。
実は、それ以前から15000もの大軍を擁する Zirid 王国との対立関係は Leo にとって大きな悩みの種となっていた。
公国は Zirid 王国を上回る20000の軍を召集可能と予測されていたが、それは遠く離れた Achaea を含んでの数字である。
主力こそ Sicily にあるとはいえ、海を隔てていることに変わりはなく、先制された場合、アフリカ領を守るのは困難と考えられていた。
「今やらぬというのなら、いつやるというのだ!?」
そういった事情もあったのだろう。 Leo はこの機に、Zirid 王国を叩くことを決意。
1131年の秋、Sicily および Achaea に大動員の呼集がかけられた。その数およそ15000。
全軍が Zirid 王国との決戦に向けてアフリカ領に展開した。数の上では互角だが、Leo には勝算があった。
Zirid 軍の中核は首都 Tunis からの直轄軍および、配下であり5000の兵を擁する Shiekdom of Bejaija 軍からなっている。
しかし、 Bejaija のシークは Zirid 王と深刻な対立関係にあり、その忠誠心は誰もが疑うところであった。
Bejaija 軍さえ参戦しなければ 15000 対 10000 の戦いとなり、公国が有利となるのだ。
Leo の予測は的中した。 Bejaija は Zirid 王の動員令を無視し、静観を決め込んだのである。
首都 Tunis における決戦で Zirid 王国軍を破った公国軍は破竹の勢いで進軍し、Zirid 王国全土を占領。
ここにズィール朝は滅亡し、かわり Leo を国王とする正教ズィール王国が誕生した。
Leo, King of Zirid。なかなかお目にかかれない光景である。何気に King of Africa も兼ねている。
Zirid 王国を征服した Leo は、従軍し負傷した三男を労うため彼に Prince of Constantine の地位を授けると、
戴冠から5年ほどたった1137年の秋、60年に及ぶ波乱の人生を終えたのだった。
最終性格:Chaste / Generous / Trusting / Zealous / Reckless / Celibate
父と同じく、妻 Eudokia との仲は良好だったと伝えられている。
また、向こう見ずな性格で広く知られており、同じ正教国の相手にこそ感情を抑えていたものの、
カトリック国との間ですら関係は険悪であった。アプリア公とも激しく対立していたと言われている。