皇帝ダヴィド・パレオロゴス 『狂えるバルトロメオス』の子
蝋燭をつけてほしい。
小さいのでかまわない。
僕の話はそんなに長くないから。
僕は子供のころからコンスタンティノスの影法師だった。
立派なパレオロゴスになりたくて影なりに頑張った。
みんなは僕にすべてを約束したけど、
コンスタンティノスが出てくると彼にすべてが与えられた。
彼が戦死したと聞いたとき、僕が心底うれしかったと言ったら
君は軽蔑するだろうね。
僕には敵が多かった。
コンスタンティノスの友人がそのまま僕の敵になった。
即位後たった半年で叛逆したコロネイア公もその一人だ。
コロネイア公バトゥハン・ベルジェニシュヴィリ テオドロス3世が辺境防衛のために封じたトルコ土侯の子
ひねりつぶせると思った。
騎兵の先頭に立って突撃するパレオロゴス皇帝の姿を思い描いた。
甘かった。
僕は本当の戦争を経験したことがなかったんだ。
1438年6月24日、アンキラの戦い
アンキラでの会戦は有利に進んでた。
僕は敵が潰走するのを見て追撃した。
奴隷兵たちを蹄で蹂躙し、さらに獲物を求めて突撃した。
そのとき突然目の前が真っ赤になって、
鎚で打たれたような痛みが全身に走った。
6月26日、重傷を負う
何が起きたのかわからなかった。
僕は兜に矢を受けて、落馬していたんだ。
剣を杖にして懸命に起き上がった。
目を上げると、そこにサーベルをふりかぶった敵騎兵がいた。
7月1日、さらに重傷を負う
ははっ。
まるで歴史がダヴィド・パレオロゴスを拒んでいるかのようだね。
帝位第一継承者はふたたびリューリコヴィチ家
僕がいつ死ぬかわからないというので帝国諸侯が会議を持った。
この情勢では選挙法継承はとても変えられないし、
諸侯には変えるつもりもなかった。
ただし『パレオロゴス皇帝家の存続』という点ではみな一致していた。
リューリコヴィチ家がいれば文句を言ったかもしれないけど、
彼らは例によって帝都に出てこない。
問題はどのパレオロゴスか、ということだった。
ああ僕は会議に出てないよ。ぜんぶ聞いた話。
それもところどころ記憶があやしい。
アドリアノス)陛下の御子を推戴するのが筋であろう!
ヤクート・コペル)しかしエピロス専制公、その筋を通すのは難しい。
4人の御子のうち3人はいまだ幼少であられる。
そして長子ゼノ殿下は我がニケーアでの学業を終えておられませぬ。
ダヴィド長子ゼノ 留学中のため専制公号を与えることができない
では先帝の2人の皇子はどうか?という話になったそうだ。
特に兄のアレクシオス?そんな名前だったね?
コンスタンティノス11世長子アレクシオス 将来有望で落ち着いた少年
この提案は多くの賛成を集めたらしい。
帝国領土を二倍に拡げたコンスタンティノスの記憶は
諸侯にとって好ましいものだったんだ。
ではアレクシオス殿下に専制公号を受けていただく。よろしいか?
ルイ・リュクサンブール)待て。エピロス専制公、私はあなたを推戴したい。
エピロス専制公アドリアノス テオドロス3世第2子 高齢、きわめて智謀に欠ける
アドリアノス伯父は断固拒否し、つかみあいまで始まって
会議はめちゃくちゃになったそうだ。
ははは。
ええと、どうしてアドリアノス伯父に決まったんだっけ。
第一継承者はエピロス専制公アドリアノスに 分与直轄地が3領ですむこと、交友、妃テオドラとの良好な関係 なにより1800万ノミスマという多額の資産が評価された
思い出せないな。
もうずっとこうなんだ。
ときどき頭がぼうっとなってしまって。
いま帝国は大変らしいんだ。
疫病がはやったり、ものすごい負債のせいで
港や倉庫がヴェネツィア人にどんどん差し押さえられたり。
だから僕は——。
ごめん少しつかれてきた。
こないだから、頭の奥がうずいて仕方なくってさ。
診てもらったらもう駄目なんだって。
全身に疫病の毒が回っているんだって。
蝋燭の炎が急に暗くなってきたね。
いや、誰も呼ばなくていい。
子供たちとの別れはもう済ませた。
アドリアノス伯父も妃もついているし、子供たちは心配いらない。
立派なパレオロゴスに育ってくれるだろう。
まあ、僕はそんなに立派なパレオロゴスじゃ、なかったね。
1442年5月17日、ダヴィド・パレオロゴス死亡