パレオロゴス家 イサキオス4世が語る(前編)

オスマンのこと

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1402年秋、海峡の向こう岸にオスマン灰青旗がひるがえります。
彼らがついに来たのでした。

テオドロス叔父は中央軍14000を三重城壁に配し、
海ぞいの塔にはギリシア火を備えさせました。
叔父の頭にはグリア殲滅戦の戦訓があったと思います。
すなわち、海にのぞむ要害コンスタンティノープルにて
全オスマン軍を迎撃、殲滅しようというのでした。

うずたかく積まれた生活物資、罵り合う難民、郊外から追われてくる羊の群れ。
着々と篭城の準備が進むなか、
僕は聖ソフィア大聖堂でコペル家のボズジンを娶りました。

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いくさの合間の慌ただしい婚姻

10月末、18000のオスマン軍がガラタに上陸。
金角湾を渡った彼らはテオドシウス城壁外側に布陣し、
油に浸したように濃密な包囲を開始しました。

そして忘れもしない11月10日。
初陣でした。
ノルド傭兵3800を率いた僕は、
第6丘の頂上カリシオス門から打って出たのです。

つんのめるようにして丘を駆け下りてゆく狂戦士たち。
本当に、大地がいくさの地響きで揺れるのだと知りました。

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1402年11月10日、コンスタンティノープルの戦い
あわせて20000の帝国軍と19000のオスマン軍が城外で激突

斬って、斬って、斬りまくって!
血塗れになって!
僕は勝ちました!
命乞いする雑兵どもを、蹄にかけて、蹂躙しました!

地形的な要因からコンスタンティノープルでの殲滅はかないません。
しかし僕は近衛を従えて海峡を渡り、
対岸ニコメディアにてオスマン敗兵2500をついに殲滅せしめたのです。

それからアナトリア主要部へ侵攻しました。
1404年に祖母エレナが亡くなり、ブルガリアの兵を使えるようになると
侵攻の速度はさらに上がります。

1406年春、こうして僕はパレオロゴスの仇敵オスマン家を滅亡させたのでした。

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1406年3月2日、アゾフ海のほとりに追いつめられたオスマン家は
800名の兵士とともに歴史の暗闇へ消えた

親政のこと

モンゴル戦役以来、テオドロス叔父の影響力は地に落ちていました。
僕は叔父にことわって親政を始めます。

祖父や父に比べると僕には統治の才能があるようでした。
19にのぼる皇帝直轄州では鎚音が絶え間なく響き、
あふれんばかりの貢納物が帝都へ運ばれてきます。

ははは!

どう思います?
僕はあの壊滅的な敗戦から、わずか5年で帝国を復興させたんですよ!

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上段:兄テオドロス(私生児)、イサキオス4世、弟レオ
下段:叔父テオドロスの子レオ、アドリアノス

悩みといえば後継者問題でした。
僕とボズジンのあいだには男子がありません。
長男ミカエルはたった1歳で死にました。

弟のエピロス専制公レオには男子がいますが私生児です。
腹違いの兄、財務長官テオドロスは1男1女をもうけましたがともに死亡。
いとこのレオは1女、アドリアノスは3女のみ。

黒死病の流行もありました。
でも、どうやらパレオロゴスの血が弱くなってきているのではないか。
僕の心の片隅に、なんとも言いようのない不安が居座り始めていました。

セルビア戦役のこと

祖父と父は西部辺境に対する請求権を積み重ねてきました。
あの愚劣なセルビア王が占拠している地域のことですよ。

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セルビア王ボレスラフ

ええ、別に戦いを挑もうとしたわけではないんです。
彼我の動員できる兵力数を知りたいと思って間諜を送っただけで。

でもなぜか戦端がひらかれてしまいました。
うっかり手が滑ったというか、ま、もののはずみ? あはははは!

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1407年9月17日、ニシュの戦い
帝国はまったく予期せずにセルビア戦役へ突入した

始まってしまったものは仕方ありません。
僕は次々に西部辺境の伯を撃破し、
高まる帝国の威信はさらにセルビア本土への請求を可能にしました。
でもそもそもドナウ以南はみな僕のものなんですから、
こんな手間を掛けさせられること自体がおかしい。

ね、そう思いませんか?

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1409年春、僕はベルグラードやラシュカといった西部辺境を回復して兵を収めました。
あと1州でセルビア王位を剥ぎ取ってやれたのですが、
僕のやり方に文句を言う連中が多くてね……そのときはあきらめました。

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ブルガリア女王アナスタシア
イサキオス4世長女

なんだか評判も良くないようで。

ええまったく、人のねたみそねみとは厭らしいものです。
で、まだ7歳のアナスタシアをブルガリア女王にしまして、うふふふふ。
文句があるかと凄んだらみな黙り込んでしまいましたよ。

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コンスタンティノス・パレオロゴス
帝位第一継承者

それからボズジンがコンスタンティノスを産みました。
待望の男子です。
最近あまり仲が良くなかったのですが、さすがは僕の見込んだ女です。

なんだか新しい服が欲しいらしくって。
ぱっと800万ノミスマ出してやったのですが、
まあ当時の国庫には2000万入っていたわけで。

どってことない出費、そうじゃありませんか?

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1412年11月、広大な帝国を統治するイサキオス4世の心労は極限に達した

だからね、僕はきちんと帝国を統治することができるんです。
父とは違うんです。

あした、セルビア王に最後通牒を突きつけますよ。
王号を奪ってやる。
帝国貴族が動揺してるって?
何言ってるんですか、僕は皇帝イサキオス・パレオロゴスですよ。

いいこと教えてあげましょうか。
僕はね、旧帝国の版図を再現しようと考えてるんです。
ライバルはユスティニアヌス帝ですよ、あははははは!

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1413年2月16日、祖父ミカエル10世、父イサキオス3世に続き
イサキオス4世までもが暗殺者の凶刃に倒れた


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叔父テオドロス関与の疑いが濃厚



コンスタンティノス11世が語る

パレオロゴス家


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