イサキオス・パレオロゴス ミカエル10世第3子
もう喋るなって?
うるさい、口を動かしてでもいないと俺は気を失ってしまいそうだ。
皇帝が暗殺された夏のことだ。
俺はブルガール騎兵を率いてひさしぶりに都へ戻った。
もちろん、新たな皇帝として。
1395年の夏至にあたる洗礼者聖ヨアネス祭日の朝、 ミカエル10世帝は死体で発見された
ああ、天地をひっくりかえしたような騒ぎだったよ。
俺は驚かなかった。
いつかこうなるんじゃないかと思っていたからな。
下手人は見つかっていないそうだが、もう噂になってた。
マヌエル・パレオロゴス ミカエル10世第6子
マヌエルだ。
親父を殺したのはマヌエルだそうだ。
あいつは修道院で妙な本を読みすぎたらしく、単性論異端にはまってた。
なんでも幼少期のトラウマが原因だとか。
弟たちが私生児マヌエルをいじめまくってたのは俺も知ってる。
その鬱屈が異端者どもの謳う「優越的父性」に対する複雑な愛憎を育んだのかもしれない。
で、そこからどうして親父を殺すに至ったかは俺は知らないしどうでもいい。
テオドロス・パレオロゴス ミカエル10世第4子
だいたい兄弟が多すぎたんだ。
テオドロスはテサロニケ専制公になれたからいいようなもの。
あとの連中は死ぬまで宮廷で飼い殺しにされることが
よちよち歩きのときから解ってたに違いない。
いじめ、公金横領、女官との火遊び……ろくな連中じゃなかったな。
ブラス・パレオロゴス ミカエル10世第5子
ブラスなんかは母親にねだって総主教にしてもらったというのに、
さらにサモス公位までも欲しがった。
母親が可愛がりすぎたんだな。
あいつだけが母と同じブルガール風の育ちだ。
しかも、話が若干先へゆくが、
俺が皇帝になったとたんきっちり叛逆するという良き弟ぶりだ。
怒りを通り越して笑ってしまう。まったく。
アレクシオス・パレオロゴス ミカエル10世第7子
アレクシオスはセルビア王の残飯を喰って生きてるし……
バルトロメオス・パレオロゴス ミカエル10世第8子
バルトロメオスに至っては、何しでかしたのか知らないが
総主教に破門されて首くくりそうな勢いだ。
まったく素晴しい弟たちに囲まれたもんだ。
マケドニアとギリシア、アナトリアの海岸地方が諸侯の手に委ねられた
そうしてこの俺も負けてない。
まあ見てくれ、この皇帝直轄領の少なさを。
親父が貴族たちに領地を配りすぎたんだ。
それもこれもすべて俺のことを考えての行動さ。
イサキオス3世の代になって直轄可能領土数は半減した
親父は俺のことは全然期待してなかった。
まあ、それは正しい判断だ。
俺は自分に統治の才能がまるっきりないことをブルガリア時代に身にしみて知った。
正直、俺は帝国をまるで掌握できてなかった。
貴族たちもそう思ってたらしい。
帝位継承を専制公および公の互選にしろなんてことを言ってきた。
完全に舐められていたわけだ。
もちろん丁重にお断りした。
1396年2月、テサロニケ専制公テオドロスらが継承法を変更するよう「忠告」
そうしたらテオドロスの奴、なんて言ったと思う?
じゃあブラスに皇帝をやらせるから兄貴は引退しろ、だとさ。
開いた口がふさがらなかったね。
1396年3月、ミカエル10世継承戦争 紫:皇帝 薄紫:皇帝側諸侯 オレンジ:叛意を持つ諸侯 赤:叛乱諸侯 ニコポリス公、サモス公、デメトリアス伯、セルディカ伯、 メゼンブリア伯などがさみだれ式に挙兵
で、やつらは叛乱した。
テオドロスの厭らしいのはブラスを焚き付けておいて
自分は挙兵しなかったところだろうな。
おおかたテサロニケに皇帝軍5000を貼付けておいたのに縮み上がったんだろう。
俺はテオドロスの部隊を叛乱鎮圧の矢面に立たせ、
存分に帝国中を引き回してやった。
1397年5月21日の帝国 叛乱諸侯の制圧にほぼ成功しつつあるが……
だからたぶんテオドロスの仕業だと思うのさ。
さんざん痛い目にあわせてやったからな。
さっき寝室の扉がひらいたときは
てっきりおまえが仲直りしにきたんだと思ったよ、マリア。
おまえはいつも扉を乱暴に開けるからな。
てっきりおまえだと。
皇后マリア・カンタクゼネ・パレオロギナ
でも、まあ、違ったわけだ。
血の海のなかでのたうってる俺を見て
おまえは俺のために医者を呼ぶよりまず一番に息子たちの身辺警備を固めさせた。
マリア、おまえはなかなか見所のある女のようだ。
親父もちょうど2年前にこうして刺客に襲われたわけか。
仲は良くなかったがやっぱりこういうところは親子だな。
もっとも、親父は殺されたが俺はまだ生きている。
大丈夫、きっとすぐ良くなってテオドロスの奴をぶちのめしてやるさ。
ああマリア、本当だとも。