【ジェラルド1世(在位1079~1088) ドイツ・イタリア・ブルグント王】
ハインリッヒの後を継いだのは、彼の息子の中でも白眉といわれていた長男ジェラルドである。
彼の幼少時のエピソードとして、
戦争の名手を自負する父帝に軍事上の不備を指摘し、一時軟禁されたというものが伝わっている。
しかし父帝も当時わずか11才であった彼の天才性を悟り、ついにその苦言を受け入れたのである。
けれどもこの皇帝の英邁さこそが、諸侯の反感や不安を煽り、ついには戦地で暗殺される事態を招いたこともまた事実である。
優秀で欠点がまるでなかったことこそが彼の唯一の欠点であったのだ。
歴史にifはないと言うが、若くして死んだこの天才が暗殺されなれけばと想像する歴史家はいまだに多い。
彼の妻はフランス王の娘であり、ただ一人のフランス王太子が夭折した暁には(事実数年後に夭折している)
カール大帝の古を偲ばす、かの大帝国が数十年早く、そして平和裏に実現していたからに違いないのである。
彼の統治は上述のように非常に短かったが、十字軍への参加やMainzを獲得するなど
父帝の事業を受け継ぎ、短いながらもフランケン朝の財政・軍事基盤の拡大に成功している。
フランケン朝の特徴として、ハインリッヒ4世以降の皇帝は
領土を無闇に拡大するのではなく、帝国内の経済要所のみを押さえていくというものがある。
他の領主が闇雲に領土政策を考えていた時代に、経済力という尺度で領土拡大を行ってた点は特異であるといわざるを得ない。
次代 Leopold
フランケン朝の中興