フランケン朝の中興

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【ディートリッヒ1世(在位1182~) ドイツ・イタリア・ブルグント・ボヘミア・シチリア・フランス・レオン・カステーニャ・アラゴン・ポルトガル・イングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランド・ポーランド・リトアニア・ハンガリー・モーリタニア・デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・ブルガリア・セルビア・クロアチア・ルーシ・セルジューク・アルメニア・フィンランド・ヌビア・グルジア・アフリカ・シリア・メソポタミア・ペルシア・エルサレム・アラビアそしてエジプト王を兼ねるビザンツ皇帝】

直轄領:Franken、Leiningen、Ulm、Wuttemberg、Venezia、Genoa、Mainz、Byzantion、Baghdad、Alexandria、Roma


即位

フリードリッヒ帝は、留学経験も豊富でありその英邁ぶりから即位前から期待されていた人物である。
(留学中だとProdgy(逸材)がつきやすいので狙ってましたが、5代目にしてやっと…)
即位式で彼の横に座るのは后妃であり、皇帝が青年時代に妻に迎えたアラブ貴族の娘であった。
まさに即位式は帝国の拡大と融合を象徴していたと言えるのである。

しかしこの帝国の東側(イスラム文化)への迎合は一部諸侯・教会の反発を招き
フリードリッヒは、その統治の初期をカトリック諸侯の鎮圧で始めなければならなかった。


対クマン戦争

諸侯の鎮圧に成功し、帝国国内に皇帝の威光が広がったと確信すると
フリードリッヒは、ウルリッヒ・ディートリッヒ帝の仇を打つべくクマンの地へと向かった。
クマン討伐亡くして、帝国の名誉は回復されないのである。

幸いにも、ウルリッヒ・ディートリッヒ二皇帝が築いた砦や、
彼らの戦争の記録から、クマン族との戦いは終始有利に運び、
2年の歳月をかけ、ついにクマンの勢力をカザフの地から追い払うことに成功した。
クマン族は遠く草原の彼方へと、逃げ去ったという。

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対キリスト勢力

騎士団員が、住民に暴力や淫猥な行為を働いているとの報告を受け、
チュートン騎士団の特権を剥奪。

この背後に反皇帝の意志の下、諸侯を惑わす教皇の影が見えたため、皇帝は教皇領へ侵攻。
ローマを皇帝直轄地とし、教皇に無言の圧力をかけた。

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今1196年ですが、あとは教皇領1州と2,3個の反乱諸侯のみです。
やろうと思えば、残り1年で世界征服できちゃいます…
モンゴルまで早くても20年あるし、どうするかなぁ。


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