キエフ大公だった父ヤロスラフの死後キエフ公爵に就いてから早12年が経過していた。
親族の公爵たちの間も良好ではあるが遠い将来にルーシ王国の建設を目指すと誓ってい
るイズヤスラフには足枷のようにも思われた。直轄地のうち幾つかを一族や廷臣の者に任
せる事にした。統治効率の改善を狙っての事らしい。らしいというのは閣下(イズヤスラフ
様)が何も仰らないからで、当時一介の書記官でしかなかった私には分かるはずもなかっ
た。
当時キエフ・ルーシの周辺にはカソリック系のポーランド、ハンガリーといった王国や(ギ
リシャ)正教系のビサンティン帝国やグルジア王国、またクマン族やビャルミア族、
カレリア族、リトアニア族などといった部族国家がひしめき合っていた。
ルリコヴィチ家も元をただせばスカンジナビア系の異教を信ずる民だったのが三代前の
公爵様が(ギリシャ)正教に改宗されて今にいたっているそうな
それはさておき閣下は内政の指揮を執りつつ国の北に勢力を張るリトアニア族やリヴォ
ニア族、さらに南のベネチェーク族に狙いをつけた様である。