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1203年3月。
内政に努めているとあのとき臣従させたキレナイカ公がアイユーブ氏から攻められた、との報が。
アイユーブ氏を再度懲らしめてやらねばなるまい。
そういえば前回、ウルムム伯はアレクサンドリアを領有したわけだが…
ならば吾輩はイスラムの聖地、メッカを得ようぞ!
再度海を渡り、1205年年10月にメッカを得た上でアイユーブと和。アラビア王位を創設した。
私は5冠を得る身となったわけだ。

先立って亡き弟ジョフロワの妻ブルターニュ公が古のブルターニュ王位を再興させている。
巷間言われる我が「アンジュー帝国」もますます隆盛といったところであるな。

さてフランス情勢を見てみると、何とトゥールーズ公が我が友フィリップに反旗を翻している!
これはいかん。そもそも彼の公の父はもともと父ヘンリに臣従していたこともある。
再度我輩に臣従させても問題はなかろう。そうしてこの戦に介入、
12月に公は臣従した。
フランス南部をほぼ制圧した我輩はアクィタニア王を名乗った。

1206年11月。以前わが国に臣従していた筈のスコットランドが以前から貢納しなくなっていたので
この問題を決定的に解決すべくスコットランド王位を奪い取ることとした。
1207年1月をもって開戦。彼らも抵抗するが、この獅子の前では無抵抗に等しい。
9月にこの戦争は終了、スコットランド王位を手にした。

このごろは我が臣も民草もひとつの話題でもちきりだ。
非常に広範囲の地を豊かに治め、十字軍すら成功し、教皇聖下を後見する我輩に、
聖下は内乱うち続くドイツから取り上げた皇帝位を授けるのではないか?と。
もしそうなったら望外の喜びではあるが、それは聖下の御考えひとつ。
私はキリストの騎士として、その命尽きる日まで我がエクスカリバーを振るい続けよう。
来年はイベリアの諸王が取り残した南部イベリアへ進軍し、ヨーロッパの「再征服」を完了させてやろうか。

今日はスコットランド王位就任の宴でずいぶん飲んでしまった。私も酒に弱くなったかな。
明日もよく働かねば。
ん?どうした――。

1207年10月。
ナヴァラ・イングランド・ウェールズ・アイルランド・アラビア・アクィタニア・スコットランド王
Richard Lionhearted 暗殺者の凶刃に斃れる。享年49。
なお犯人を示す証拠は無かった。
息子リチャードⅡ世がアンジュー帝国を後継した。

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となれば我が国として聖なる任務は果たしたこととなる。
1201年11月、アイユーブの王と交渉し、和平を勝ち取ると帰国の途についた。
第3次十字軍は成功を収めたと言ってよかろう。ハレルヤ!
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(緑が今回傘下に収めた区域)

そして伝説へ・・・


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